自由が不自由であり、不自由が自由とか


こんばんは。きのうと同じようなベールの掛かったような晴れ。

風あるも暖かい。今日は舟に乗ってみた。桜吹雪と花いかだのなか
のんびりと楽しむ最後の花見。岸でもけっこう人出は多かったです。




或る理念をひと言で片付けるのっていくないのかも。例えば、
表現の自由」とか。これも永遠に葛藤し続ける類のものかも知れ
ないな。「ペンは剣より強し」とか昔から言われてるくらいですから、
昔から為政者はえらく気を配って焚書坑儒なんかをしてきたし、今でも
陰に陽に言論を圧迫しない政権は無いと言えるのでしょうか。
ときに危険な言論を放置していたらモンスターに化けるってことは
無いとは言えない。ナチスとか。でも、納得した民衆の自業自得なんだ
から、何でも自由に発言つうのが原則かも。しかし詐欺的な手口に
引っ掛かった奴の自己責任つうのも、被害者にとってはちょと切ない。
では、詐欺的な言辞をどう見分けてどう抑制できるのか。一般的には
むずかすいよな〜。だから結果論的な糾弾にならざるを得ない。
「自由」つうのは極ゆるい原則にして、あとは何時でも喧々諤々という
玉虫色にならざるを得んのかなあ?しかし、自分の思惑に一致しない
言論は一切禁止で強圧的に封じ込めるっつう国はまだまだ多いから、
そういうとこには風穴を開けるのはいいのかも、とかいうと内政干渉
に当たるのでしょうかね。いやはや、この世はむずがゆいし難しい。




進化は認めるけど進歩ではない、つう見解はどーだろ?



「人はその人が見たいと思ったものしか見えない」といったのは誰で
せうか。カエルかな、いやいやカエ(サ)ルだった。これは確かに
ありますね。他のブログでも自分が書いたこと、関心を持ったことが
妙に目に付く。まさか俺のブログを盗み見てんじゃねーだろうな?
とか疑心暗鬼になるには及びませぬ。これは自分が関心を持ったこと
気にしている事が眼に入ってきたに過ぎません。新聞でも雑誌でも
おんなじ。関心を持ったことに目が行くから、「へ〜、世間もおらと
おんなじことに関心をもってんだあ?」とかの一致現象が起きるのです。
でも時々新聞も或る事件が起きると同じような事件ばかりを取材する
から、同じような事件が連続して起きているように見えることもある
から世の中は複雑ですう〜。







メヂカラ、がんりき、眼力つうのは確かにありますな。顔のなかでも
意志の力は目の周りの筋肉に一番出やすいとか。次は真一文字に
結んだ口のまわりとか。耳とか鼻に出ることは稀ですぅ。でも鼻を
おっぴろげてやる気マンマン、ふんがァ〜!なんてこともあるな。
西安の兵馬庸を見たときも司令官の凛々しさは眼力に出ていたな。眦
を決する、てなお顔が2000年の時を超えて迫ってまいります。






え〜、何の話をしてたのでしたっけ。そうだ「自由」の話しだった。
これは僕の中でも未だはっきりした姿をとっていないから、変幻自在。
当分、生理的な嫌悪感によって単純化して受け入れる庶民の愚民の
凡夫の生き方で判断せざるを得ませんな。てへっ。
ではでは諸君、おやすみごんざれすでごんす。