サンデイ・ナイトの雑感


こんばんは。うす晴れときどき薄曇り。みんな薄っすらとした
少し暖かい一日。こういう日は花粉も多い。でも桜がほころんだ
とか。来週は何処かにお花見に出かけようかな。





大分以前に見たことがあるようなTV番組をやってた。ビルマの象使い
とか。子供の頃から人間と象が組みになって生涯を一緒に過すとか。
毎日、素手で象の体を30分洗ってあげる。それだけ。象は森の中で、
自分で餌を食べるし、恋もして子供も作る。でも、相棒の人間の為に
その人が喜んでくれるからと、一生懸命に仕事をする。仕事が終わっ
たら、自分の時間で翌日まで自由に過す。一緒に歳をとって、仕事を
引退しても、死ぬまで相手の面倒をみるとか。家族以上のつながり。
こないだ読んだ「スピリチュアル・ペイン(飯嶋和一)」を思い出し
た。動物だって心があるんだい。それも、とっても暖かいのが。





きのう読んだブログでこころに残ったとこ。交換可能性について、
「物やサービスが、ある目的のために用いられる手段として見なされた
ときはじめて、交換可能性という概念が生まれてきた」とする見解。
それで、その交換可能性を純化し抽象化したもの、あるいは具現化した
ものが「貨幣」だとか。そう言えば、「金で買えない物は無い!」とか
おっしゃった方もいたなあ。交換を極限まで錬金すると貨幣になり、
貨幣とは即ち「交換概念」が具象化されたものである。シンプルで
分かりやすい。それで、その交換フィールドを市場と呼ぶとか。





それで、「いかなる目的のためにも用いられることがなく、何をする手段
にもなり得ないもの。それこそが交換不可能なものである。」として、
それを未だに探求しているとか。要するに、目的ー手段の効率連鎖には
入らないものだな。これは所謂ひとつのとても良い基準ではあります。
PDCAサイクルのコマネズミ共にはとても考え及ばない概念ではあるまい
かな。





交換可能性=可換性つうのは数学基礎論でも重要な概念で、若くして
亡くなったガロア群論なんかでも使われてたな。1+2も2+1も
おんなじだい!つう極めて当たり前の概念が現代数学の基礎になろうと
は、お釈迦さんでも気が付くめえ。で、このガロア氏、20歳で決闘して
死んじまったのですが、生前はフランス革命の頃のラディカルなアホと
思われてた。死後何十年かしてから、どっかから論文が出てきて、群論
フィーバーしてアインシュタインまで繫がる数学の本流になったとか。
ま、エバリスト・ガロアまたはガロワでググルとその数奇な運命の一端
でも窺えるかもね。





かように、あらゆる分野で「交換可能性」というのは重要な概念なので
あーる。で、俺の財布は極めて交換可能性が低い部分空間だし、俺の
脳内も可換性は皆無だろうな。市場価値はまるで低いですが、当の本
人は、それでとても満足してるでがんす。ではでは、おやすみなさい。