こころのこころによるこころのための考察


こんばんは。快晴のち晴れのち曇りのち霧雨のち雨。 と変転する天気。
これで花粉は少し減ったのだろうか。金曜日は株が下がるという経験則
を利用して空売りで稼げないものかと下衆なこころが浮んで消えた。




こころの定義は何でしょうかね。感情があって考える事ができるもの。
じゃ、考えるって何。記憶や推論を使って、解らないことに辻褄を合わせ
たりすること。じゃ、辻褄が合わないと考えた事にならないの?
いや、そんな事はないな。下手な考え休むに似たり、つうこともあるから
あーでもない、こーでもないと取り止めも無いことに心を遊ばせるのも
ありかも。でも秩序志向であるのは確かだな。シッチャカメッチャカに
千路に乱れてるのは考えるとは言わないでしょう。




では、こころがあるのは人間だけか。これは僕の意見ですが、「いやいや
そんな事はない。動物にはたいてい感情もあるし考える心もあります。」
ひょっとして植物にもこころはあるのかも知れない。少なくとも感情は
ありそうですう。つうのが古来からの日本人の考え方かも。





コンピュータはyes or no を高速化したディジタル処理と超大容量記憶
であらゆるケースを網羅的にシミュレートし最適解を即座に見つけ出せる。
しかしこれは何が最適かという目標を他から与えられたときのみ有効に機
能します。混沌のなかで四苦八苦し直感か天啓のようなもので良さそうな
方向を探し出すようなのが、実際の生物の生き様だとしたらコンピュータ
はかなり心からは遠いように思うな。とか、先日、の羽生さんのエントリ
を読み直して思った。あらゆる手を読みつくすよりも、なんか何処からか
湧いてきた直感だあ!とか。




ときどき、こころについて考えると訳ワカメになるのは、こころでこころ
が見えるのかっつうとこだな。自分の網膜は見る道具だから自分では見る
ことが出来ないのと同じような。*1では、諸君今日も楽しくおやすみなさい。






(覚え書:
「君の年収分を賭けてもいい。」とかを見かけたけどナンダイこりゃ。
ヘンナものを賭けるなあという思い以外に嫌な感じがした。経緯がよく
分からんから迂闊なことを言えないが、相手を揶揄してバカにしている
ニュアンスも仄かに漂っている。明日、少し研究してみよう。)

*1:勿論、写真に取ったり、鏡に映したりした擬似のは見えるのだけどね。