混乱を自己分析できないひと時


こんばんは。晴れ、時折雲が出た。寒さ少しだけ緩んだような気がした。



なんか、気分が動転している。何故なんだ、かは良く分からないけど。
「我」という認識主観がひどく動揺しているような気はする。これだけは
疑いようがない。神をはじめ、全てのものを疑って疑って疑いぬき、そこ
に残った最後のものが、「疑っている自己」だと勘違いした人もいたなぁ。



「理性を正しく導き、諸学において真理を探究するための、方法序説」を
記した寝ぼすけな人。でも、これは、自我=実態 と勘違いした人の話し。
疑う、思考する、記憶する、意志する、喜怒哀楽、つう作用があるだけで
実態ではなーい!我思う我なんて、ないーーーーーんだい。




混乱した時、言葉の代わりに哲学を持ち出すのが僕の癖なのだと判明した。
他人と交流するために自分であみだした方法だった。