自分と他人との境界

ボン・ソワール。厚い雲の下、小雨、霧雨。花粉少なし。



「熊さん酒を飲めば、八つあん酔う」と言うような老子の言葉が
あったような気がする。
自我の広がりがどこまで伸びるのか?つう気もしますが、その範囲が
拡大・縮小するってことだけは確かにありますね。




地球の裏側の出来事にも身を揉んで涙を流す人もいれば、小さな自我の
核に籠もって世を羨み怨む狭い自我もあります。ここまで極端では
なくっても、愛する家族の身の上をわがこと以上に心配している
お母さんは、たくさんいると思うのです。




ですから、自我と言うものは風船のように膨らみもすれば、小さく凋んで
縮こまってしまうこともあるでしょう。つまり、自ー他の境界なんて
フレキシブル。共感の広がりは限定できない。というのが老子の教えです。




身を引き裂かれるような、別れを経験したことが無い者には、自己とは
檻のような閉塞空間なのでしょうか。
「自未得度先度他(自ら未だ渡らざる先に他を渡す)」という道元の言葉
があります。これはタイタニックの純愛のようなもの。
「私はまだ渡れません、あなたを先に渡すまでは」つうような意味かな。



いったい幾歳月を経れば、このような境地になれるのでしょうか。
それでは、ボン・ニュイ