お江戸八百八町の噺


こんばんは。雨のちうす曇り。寒気やや緩む。


街に長ネギを買いに出たらけっこう賑わってますね。老若男女、赤ちゃん
まではしゃいでました。って言うのはウソ、赤ちゃんはたいてい寝てます。
こういうのがやはし年末風景なのでしょう。門松*1としめ飾りを購入。



昨日ニートの意義について書いたが、江戸時代のニートというか無宿人は
厳しい目に会っていたようですね。この頃の飢饉とかでの農民の疲弊と
貨幣経済の興隆で農家の食いはぐれた二、三男坊は流民と化して江戸に出
てきた。それで治安が乱れたり火事が増えたりしたので吉宗配下の大岡忠
相警視総監はこれらニート予防拘禁して遠島などにしていたが流入
収まらず。とうとう業を煮やして百名程をひっ捕らえ、拷問の末自白を
強要して「放火犯は天下の大罪」として全員処刑してしまったとか。
いやはや軍事政権(徳川幕府のこと)って怖いですね。恐いですね。



でも、この頃、享保初頭は毎月大火が出たっつうから、放火も少しは
あったかも。町火消しとか番所や町人の治安組織、火回りなどを整備し
て漸く大火も収まったようですが、火あぶりになったニートたちはエライ
災難。いつの世も声の小さい人々が災難にあうのかな。一方、商家の
ぐうたらニートの方は遊び暮らしてたつうんだから、世は農業から流通
へと大転換してたんだろなあ。今もこのようなシフトが秘かに進んでいる
ような気もするのですが、それが何なのか見えた人は他人には言わないの
でしょうな。物も実態もなくても人々の欲だけ抽出して錬金するセコンド
・ライフみたいなやつ。



この頃の文書を読んでると今と同じようなイジメの話もありますね。
江戸城のサラリーマンである外記という侍が同僚の陰湿なイジメに会って
(原因は良いお役目を仰せつかって周囲のシットを招いた為らしい)、
ある日突如プッツンして同僚全員を切り刻んで自害したというはなし。
「春すぎて夏きにけらしうろたえの 外記に切られて恥をかく山」
今なら猟銃乱射とかになるのかな。これは江戸時代だから概ね外記の
肩をもった落書が多かったようだ。



丼氏のリンクを見てたら江戸時代の話が出てきて思い出した。
この方も古くからのネットマンみたいで興味のわく人物ではあります。
例の小物やのう!つう実名オジサンが論敵から、
「何百年前の歴史や文化を読み解くなんておよそ人間の知的活動とし
てはもっとも難しい部類に属する探求に携わるのはとうてい無理」とか
貶されててワロタ。(遊女の平均寿命が23歳とかいうとこへの反論で)
ワタシも統計の扱いに関しては一家言あるから、いつか書いてみよう。



とか、現代の年の暮れは何事もなくしやわせに過ぎて行きますねえ。
ではでは、今日はこれにて、ひとまず さらばじゃ。

*1:短い松二本だけです