この世の中は極めて幸運なものだけで構成されているのです


こんばんは。曇りのち夜雨。大分押し詰まって参りましたね。
て、そんな気もしなくなったこの頃。なんかパリの正月みたいに一日で
知らん間に過ぎてしまいそう。西洋はクリスマスに盛り上がり杉て正月は
みんな疲れてしまうからだろうか。日本も似てきたりして。プ



雑誌を見てたら、最近の進化論は中立論といって、「幸運者生存*1
が定説になってるらしい。すなわち、イロエロな偶然を乗り越えたラッキー
な者が生き延びるらしいのだ。適者生存*2より何気に納得性があるな。
おれ自身が生まれたのも何億の精子の中の幸運だし、周りを見回しても
適応者ばかりじゃないしね。それに適応者ばかりだと生物的には絶滅と
となり合わせらしいんだ。環境がちょと変わるともう生きられないヤワな
ものになってしまうようだ。そういう意味では公害にも負けず、農薬にも
負けず、温暖化にも格差社会にも負けないゴキブリのような者が次世代
を担うのかもね。




それにコロニーではイロエロなタイプのものを必要とするらしくて、
そのときには役に立たなくても、誰も想像できないような、何かの役に
立つ能力というのがあるようだ。この能力は分からないというとこがミソ
だ。例えば分業化の進んでいるハチの社会でも、何にもしないニート
3割いるそうだ。これを取り除くと、またそのうち残ったものの中から
3割のニートが出来るし、取り除かれたニート集団のなかでもまた働いた
り世話したりするのが出てきて、コロニーの構成が元に復帰するのだ。
この働かない集団の役割が何なのかは分かっていない。つまり”解らな
い”というとこが重要なのだ。役割が分かったら、それはもうニート
じゃなーい。(タマムシ理論)




ふと、その辺の市井の人々も著名人もなんら変わりがないなあ、とか思う
ことがある。例えば薬害にあった人たち。まったく偶然に被害に会われた
人々が立派な言論で、ときにはソーリをやり込めたりもする。また、例え
拉致被害者の会。まったくランダムに被害に会われた人々の親族が立派
な活動をして、時には大統領にも物もーしたりする。けっこう日本人って
均質で、一旦事が起こりその立場に立てば誰でも立派な行動をするものだ
なあ!とか感じ入る。なんか、ハチのコロニーに似てねーか?




だから明治維新とか戦後とかそれまでのエスタブリッシュ達がいなくなっ
ても、返って世の中うまく回ったりするから、老害の政治家たちが退場し
ても何も困らなかったりしそうですね。類推で考えると。と、今日は何を
言いたかったのかというと、未来は実はニートたちに掛かっているのでは
つうことでヤンス。ムムム。ではでは、おやすみなさい。グッ・ラック!

*1:survival of the luckiest

*2:survival of the fittest