コトバのちから

こんばんは。今日は24節気によると、北国で大雪の季節の始まる
「大雪」らしい。天気、晴朗なれど蒙気あり、やや暖か。



コトバのちから、その2


我々の思考能力はひとえにコトバに依存しているように思う。いや、
曼荼羅とか神の啓示とかの一瞬ですべてを悟ることがもしあるとすれば、
それは除いて、いわゆる推論とか議論とか記憶とかはコトバがなければ
成り立たないような気がする。記憶は少し違うかな?順序だった合理的
な記憶だけだな。


赤ちゃんはお腹のなかにいる時から既に母親のコトバを聞いていて、その
母国語の特徴を刷りこまれるらしい。中国語のトーンや英語のstressリズム
とか仏語のsyllableとかの特徴は生後10ヶ月で固まってしまう。ですから
いかにあがいてももう3歳を過ぎたなら母国語の檻からは逃げられない
のです。無理してシンキング イン イングリッシュなんかやっても咄嗟
の時には母国語になってしまうのは止むを得ません。で、その発達順序は、
1.音韻(セグメント)の認識
2.韻律の認識
3.統計的学習(確率学習)
4.単語の連結
となりますが、1.と2.は胎児から生後10ヶ月くらいまでに固まる。
3.は8ヶ月くらいから18ヶ月くらいで固まってしまうらしいね。



こういう母国語のくびきつうのは逃れ難くはありますが、人間は言葉を
通して世界を認識しているというのは一面の真理でしょう。なんかに名前
をふっつけると分かったような気になるしね。つまり現実を言語が支配し
ているという意味では「はじめにコトバありき」なのでしょう。


更にいえば、言葉があるからこそ嘘が発生し、嘘(想像力=創造力)が
つけるから人間は進歩(邪悪化?)したとも言えるでしょう。
立つとか道具を使うとか人間を特徴付けるものはイロエロとありますが、
言葉こそ最大の特徴ではないでしょうか。イルカとかゾウも話すよ?
しかしあれは合図みたいなものではないのかな?そういえばイルカに言語
を教える小説があったな。サルも簡単な抽象思考はできるとかいう説も
あった。では人間の特徴は「悪巧みができること」に直そうかな。プ




一発はこなしたが、来週からまた宴会が増えそう。咳を理由に断ろうかな。
表現の自由」(憲法第21条)について、焚書坑儒からプライバシー
侵害まで(そのうち考察、覚書)。ではでは、おやすみなさいマシ。