えーい、何でも遊びにしてしまえい

こんばんはー。今日はとても過ごしやすい秋らしい一日でしたね。
そういえば、いつの間にやら虫の声が聞かれなくなってますぅ。




さて、人間(いや俺だけかな)なにが一番楽しいかっつうと、それは
遊んでいるときでしょう。広く意味をとれば、これは疑いない。
野球やサッカー、碁や将棋をお仕事にしている人は言うに及ばず、何でも
仕事にしてしまえば、いや仕事を遊びにしてしまえば楽しいだろうな、
とは思います。仕事とは関係が無くても遊びでやってる事は時を忘れます
し、無理に努力とか根性入れなくても長続きしますよね。




これは、死を自覚した人間、ホモサピエンス*1に相補的に備わった遊びの
精神、ホモユーベンス*2が人の本性たるたる所以でしょうか。
遊びの特徴は、全てが予測通りの必然でも、全くランダムな偶然でも面白
くありません。必然と偶然の織り成すバランスと、超えれば越えるほど
更に熟練を要求するチャレンジ性が必要とされるでしょう。たぶん、
これらは我々が自然の中で狩をして暮らしていた頃は、生活そのもの
だったのでしょうか。それで、狩が出来なくなったら死んでいくとか。
ですから、遊びが出来なくなった人間は、しなびて縮んで無くなって
しまうと思いますよ。自然の摂理です。




そういえば、よく観察すると鳥たちも良く遊びますね。捕食とか生殖に
全く関係なく、純粋に遊ぶのです。いやいや虫たちも遊んでいるように
見えるぞ。いやいやいや微生物だって遊ぶぞ。すべての偶有性に裏付け
られた遊びの精神は生物が生物たる動的な平衡に由来する根源的なもの
なのではあるまいか。




いや最近ね、生きててもちっとも進歩が無いものですから、「千里の行
は足下に始まる」なんて唱えて、努力して何かを始めようかなとか思って
は見たのですが、はたと遊んでるのが普通の状態なのであって、我慢して
面白くも無い事に根性入れるのは無理がありすぎじゃねえかな、とか
思いついて、合理化を致した次第。では、夢で遊んでこよ。おやすみー

*1:思考的人間

*2:遊戯的人間