生命って手段だけで転がってる気もする

こんばんは。やや気持ち持ち直しそう。しかし一寸先は闇ですね。
今日は特に記すことなし。穏やかな良い気持ち。ずっと続けば良いですね。
このところ友人の死にともない人生について考える事多し。ちょっと
前に彼が「俺死ぬのは怖くないんだけど、俺が居なくなったあとで、
あーだこーだ言われるのはちょっと嫌かも。」なんて冗談めかして言って
たのが、今になって思い出される。この人ラディカルで護憲派、死刑反対で
おおかた周りと対立してたな。でも生き方は一貫してて素晴しい。




つられて自己の本性なんて考え始めてる。手段と目的とか。生命を維持継続
すべく手段的なもの、例えば食欲とか快適欲とか金銭欲、子孫維持本能とか
の諸々は目的じゃないよね。それら煩悩的なものをみんな剥がしたら、そこ
には本当の自己つうものがあるのかな。手段的じゃないやつ。高僧じゃなく
ても分かるのかな。幾多郎氏の言:
「自己の全力を尽くしきり、ほとんど自己の意識がなくなり、自己が自己を
意識せざる所に、始めて真の人格の活動を見るのである。」とか。
これは知行合一で、考えてるだけではダメだってことだろか。ムツカシイ




このところサンマばかり食べてる。旨いからだ。塩焼きに大根おろし酢橘
に彩りでプチトマトを付けると綺麗だ。一週間くらい続いてる。ときには、
焼いたのを買ってくるときもある。なぜ俺は飽きないのだろうか。不思議。
では、諸君とともに食欲と読書と運動の秋を楽しみつつ、おやすみなさい。