8月31日 野菜の日だよ、300g/日は食べようよ

みなさん、こんばんは。わたしは今日も、最も平凡な日常生活を淡々と
送っております。みなさんも、お変わりなくおすごしの事と思いますぅ。




世の中、原理的に正しいことが、実は正しくなかったという事は良く
ありますよね。ですから、その時の気分で決めるのではなく、イロエロ
なシチュエーション、タイミング、場所、空気、を読んでじたじたぐじぐじと
迷いまくるのが、人間なんじゃないのかな。ドーシタラヨカロとか、
ちとかっこ悪いけどね。突っ走るのは、カッコいいけど危険すぎ。



むかし、専用か汎用かというアーキテクチャ論争がありました。ある機能に最適
特化して無駄を省き、効率を上げる専用化が有利だといわれてました。
「何にでも使えるようなものは結局何んにも使えないものだ」とけなす
論調もありました。しかし蓋をあけてみれば、専用機種は各個撃破され
て人物金を大量集中して投下した汎用機種に淘汰されてしまいました。



一方、人間を考えるに、汎用化は「八方美人」とかいわれてあまりモテ
ません。何でも出来る人は器用貧乏などとバカにされたりもします。
翻って、野球などを考えても技能の専門化はますます顕著で、打投走守
の万能選手は高校までで、それ以上を目指すには専門的にならざるを得
ません。投手でも先発、中継ぎ、押えと専門特化して行きます。また、
攻撃でもバント練習しかしない投手より指名打者を置いたほうが試合を
面白くしているのは周知の事実です。スペシャリストはジェネラリストに勝れり。




このように専用ー汎用論争の帰趨が異なるのはなぜか?それは実は機械
と生物の違いに起因するのではあるまいか。とハタと思い至ったのです。
生物とは本質的に専用分化を指向するもので、それが結果として多様性
をもたらすのではあるまいか。と、思考を弄びつつ、何事にも特化でき
ない玉虫の悲しい繰り言ですた。では、またのお越しを。もやすみ。