書評というか引用かも

こんばんは。昨日ぼけた頭で野菜300gとか書いたけど厚労省農水省
の推奨値は350g〜400gが正しかった。お詫びして訂正いたしますぅ。
でも、言い訳ですが、これはあくまで目安ですし、野菜もスイカから
根菜まで水分量も違います。ここは量より質、まんべんなくイロエロな
種類を取る事が肝要でしょう。でも虫ときたら、ほんとに偏食で、たっ
た一種類の植物しか食べないのが多いですね。これも住み分けで喧嘩
しないチエとか。




さて、先日の『生物と無生物のあいだ』を読了。ものを思っても、思わ
なくても地球は回っているけど、それを認識する事で世界観は変わるな
というような種類の価値転換はあった。



例えば、食べる事。生物は生物オリジンの栄養素を常に補給するべく
運命付けられている。なぜか?当初は食物から負のエントロピー(=
秩序)を補給しているのだという説もあった。しかし、

生物が生きている限り、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も
低分子代謝物質もともに変化してやまない。生命とは代謝の持続的変化
であり、この変化こそが生命の真の姿である。
                   R.シェーンハイマー

というダイナミック・イクイリブリアム(動的平衡)の概念にたどり着く。
これは例えば「自動車ならガソリンを補給されてエンジンを動かし
進んでいく、ガソリンは消費されて減っていく」というのと生物は全く
異なり、摂取された食物は殆どが体の構築に使われる。一方、体に
あった構成要素が絶えず分解されてエネルギーに変えられていく。と
いう流れのなかに生命はあるのだという発見である。だから何も食べな
くてもしばらくは生きられるが、身体は消費され痩せ細っていく事に
なる。




そして、筆者の動的平衡状態への洞察:

「私たちの生命は受精卵が成立したその瞬間から行進が開始される。それは時間軸に沿って流れる。」「ある特定の場所に、特定のタイミングを見計らってさまざまなタンパク質が作り出される。」「新旧ピースの間に形の相補性に基づいた相互作用が生まれる。その相互作用は常に離合集散を繰り返しながらネットワークを広げ、動的な平衡状態を導きだす。一定の平衡状態が完成すると、そのことがシグナルとなって次の動的平衡状態へのステージが開始される。」「生命現象にはあらかじめさまざまな重複と過剰が用意されている。それで、ピースの欠落を補完しつつ、分化、発生プロセスを最後まで折りたたみえる。そのような緩衝能が、動的平衡というシステムの本質だからである。」


と、機械にはない柔らかさ滑らかさの根源が、あらゆる部分で分解と
合成を繰り返しながら状況に順応する「動的平衡」にあるとしている。
我々は機械ではなく、絶え間なく流れ続ける川の淀みの様なものかも
知れない。最後にすこし詩的になった筆者の生命観:

「生命という名の動的な平衡は、それ自体いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。それが動的平衡の謂いであり、決して後戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でも、既に完成された仕組みなのである。」「私たちは、自然の流れの前にひざまづく以外に、そして生命のありようをただ記述する以外に、なすすべはないのである。それは実のところ、少年の日からずっと自明のことだったのだ。」

物質的側面からの生命現象に関してはけっこういい線いってると思い
ます。また、いろいろな分子生物学の手法やトピックスも紹介している
のでそれなりに楽しめます。いろいろな観測手段が発展中の脳の研究と
ともにとても興味深い分野ですね。でも、あり地獄みたいに進んでも
進んでも足を取られて深みに嵌まるだけかも。それくらい奥が深いと
思いますね。何事も一筋縄では行きません。と、けふは引用疲れで
さようなら。裸の大将を録画してこよ。ではまたあした、おあいしましょ。