時間の不可逆性を補い癒すものが夢であるのかも

こんばんは。お元気ですか。もちろん元気ですよね。よかった。
今日、変な人を見た。ひょろりとノッポでめがねをかけた若い人なんだ
けど、歩きながらズーッとおしゃべりしてるんだ。独りで。頭のなかの
発話回路がループしてしまったのだろうか。しばらくついて行ったら、
どうやら議論をしているらしい。自分のなかで。退屈しないだろうな。




自然は大小のサイクルが循環している円環世界だと思ってたけど、「
覆水盆に返らず」という不可逆一方向つうのも確かにあるな。種から
芽が出て、伸びて、葉が出て、花が咲いて、実ができて、枯れる。と
いうのも不可逆だ。人生もそんな気がする。もう決してとり戻せない
懐かしき日々。だから人間には記憶とか夢というものが与えられている
のかも。でも、小鳥たちもこっくりと眠るんだから、やっぱし夢は見る
んだ。犬だって猫だって幸せそうに眠っているときは、みんな夢を見て
いるに違いない。




自省:けっこう凝り性の俺がなぜ料理には嵌まらないのか?つうのを
考えると、俺の満足スレッショールドが極めて低い為ではないだろーか。
この満足しきい値がすべてにおいて低水準だと、文化というものは
発達しないような気もする。どこまで行っても満足を知らない人が、
その道を極めるのでしょうね。でも不幸そうやな。だは、もやすみ。