君は何者ですか?とか尋ねないでオクレ

みなさん、こんばんは。ご機嫌な週末も終わってしまいましたね。
わたしは今日は涼みに行かず、逆に3時間ばかり表を歩き回ってました。
汗をどっさりとかいた後、シャワーを浴びて、心地よい疲れに浸ってお
ります。




人間、他人のことは分からないけど、自分のことは良く分かっている、
と思い込んでいる。でも、実際は自分のことが一番分からないらすい。

自己とは何であるか?

「自己とは何か?と聞かれなければ、誰でもこれを知っている。
しかし、改めて尋ねられると誰も答えられないもの、それが自己。」


                 ウィリアム・ジェームズ(心理学)


でも、思い込みってのはあるな。「俺はこれこれ、こういう人間で、
そっちの方面には才能があるが、こちらの面ではてんでだめだ。」とか。
しばしば、これが正反対の評価であったりして、人生の悲喜劇を生んで
いる。いっぽう、「虚仮の一念、岩をも通す」とか「石の上にも三年」
とか示すとおり、思い込んで打ち込めば、それなりの成果は出るようだ。




で、この「自己とは何か」と自己の根源を考え続け、「我々の最も平凡
な日常生活が何であるかを、最も深く掴むことによって、最も深い哲学
が生まれるのであーる。」とのたまったのが我らの幾多郎先生らしい。
この後、どう発展するのかはまだ読んでないから分からんが、日常を
掴むんなら俺にも出来そうだと、なにやら勇気付けられるよね。でも、
つかみが浅いか深いかは難しそうですね。もっともだ、もっともだ、
もっともだ、の「最も」三連発を発して、後はこれからのお楽しみ。





う〜ん、序論を読んだだけで勇気付けられるとは、たいした哲学だ。
でもこの方、哲学の動機は「人生の悲哀」である、とか言ってるから
イロエロと苦労したのでしょうね。お子さんを5人も亡くしたりとか
近親者との別れは、人生の早期からたくさんあったようです。
暑苦しくなくって、やや涼しげな方ですから、夏に勉強するのは打っ
て付けかも。ではでは。もやすみなさいまし。またあした。





と、今思い出したが、台湾では幼稚園だけではなくて小学校も中学校
も昼寝の時間があったな。暑さに適応する知恵かもしれない。では