何かについて、考える。について考える。について考える・・・

こんばんは。
今日はフィトンチットをいっぱい吸ってきたぞう。リフレッシュ、リフレッシュ


俺は権威主義ってのは嫌いだけど、その道一筋という市井の人は
好きだな。なんか味がある。おぬしなかなか味なことをやるのう。
でも生活効率化のために知らず知らずの内に権威に頼っている事は
後で気がつくと良くあることだ。いくら師匠の言うことでも丸呑み
しないように気を付けよう。いや自分で吟味したら幾ら取り入れた
って委員だよ。他人にはレッテル貼るなとかいってても自分では、
「けっ、御用学者がよくいうよ!」なんてレッテル張ってることは
多い。他人にはケチつけるが自分の事は気づきにくい本性を物語
っているのであろう。



で、懐疑的経験論のD.ヒュームはその著書「人性論」で当たり前と
思われることをいろいろと否定しているのであるが、自己同一性の
否定つうのがある。

自己とは知覚、感情の束の絶え間ない流れと
運動であって変化の内にこそそれはある。
変化が止まれば自己も消滅する。心とは劇場のようなものだ。

つまり絶えず変化しているのが人間であると規定している。これらを
安定させ繋ぎ止めているのは習慣(経験)であってこれは恒常的普遍
を保障するものではない。同じように対象の同一性(知覚されている
対象は次の瞬間も同一であろう)とか因果関係(たとえば石を離せば
下に落ちる)も習慣によって裏打ちされているに杉ないとしている。



生得の合理性を否定するかなり過激な議論だが、京劇のくるりと回る
と顔がガラリと変わっていたり、中が真空になっている石を離したら
上にのぼっていったりした時にギョッとするのは経験的習慣に反する
からであろうかと思えば習慣によってのみ推測されたもので、真の
同一性を保障するものではないというのも頷けないではない。




どーだい、少しは眠くなったかな。おれはいくつかこういう睡眠剤
用意してるのさ。カントが一番効くとかいう奴もいるけどね。考える
為にのみ考える。なぜ考えるのかを考える。かんがえーる・・・・・
もやすぅ・・・・・・・・・・・・・・・・みなさいzzzzzzz.......