動物の開放はほんとにできんのか

諸君、こんばんは。今日はちょと触れたくない話題にあえて挑戦。
いわく殺生戒。
「動物の開放」(1975.P.シンガー)てな書物にいまや世界はracism
からspieciesism(種差別)に進むべきだ、なんて主張が載っていた。
曰く「動物はその種の違いによって差別してはいけない。」


で、このオーストラリアのおっさんは先祖がアボリジニをさんざん苛めた反動
からか、「全ての“苦痛を感じる感覚”を持っている動物は迫害して
はいくない」つう感覚規準を導入した。で浅はかなことにコノ規準の
境界は蟹までで貝類はすでに苦痛を感じない範囲に入っている。
貝だってみみずだって十分苦しむと思量するけどね。いやアメーバ
だって嫌がることすると身悶えて苦しむよ。


しかしちょーしに乗って考えさせる論点もいくつか提起している。
1.工業畜産
 産む機械じゃないけど、ニワトリとか子牛とか豚とかを身動きできない
工場みたいなとこで飼育して商品としての動物の効率的生産を計るの
はダメだ。
2.動物実験
 薬品、化粧品の毒性試験とかワクチンの開発で動物をむごたらしく
殺しているのはダメだ。


言ってることは分かるのですが、しかし美食と薬害をどこまで諦められ
るのかダブスタにならない折り合いを探らないと、話は堂々めぐりに
なってしまう悪寒がします。


おれ?俺様はやはし人間様で偉いのだけど、お肉はひかえてお魚や
豆腐、納豆と少しの野菜で「ありがとう、いただきます。」「ありが
とう、ごちそうさま。」ってとてもありがたくいただきまーす。
完全ベジタリアンになったりゴキブリを踏んずけない人になるほどの根性
は多分ないからな。子猫殺しも嫌だけど、いつかきちんと考察してみよう。