文とリズムとインスピレーション

久しぶりにサカナになった夢を見ました。
サカナになるといってもウロコが生えるわけではありません。
だた水の中でいくら泳いでいても苦しくないのです。
それで川の上流から水中を潜って河口まで流れて来るだけの夢なの
です。いつから何が切っ掛けで見るようになったのか思い出せま
せんがとても気分が良い夢です。体が快調になる兆しかなあ。




読点を使わないでみた↑ら、けっこう すっきりとしてるな。
読むときのリズムや息継ぎの場所には便利だが、余裕の無い書き手
が息切れして書いてると、読み手が疲れ果てることもある。
どーせ明治の律儀な文官がコンマ,なんかを真似して導入したのでしょ
うが、読み手が自分の好きな場所で息継ぎをするという自由を奪っ
ているといえるでしょう。昔のように筆でたらたらとミミズのはっ
たように書くほうが和文には適しているでしょう。



または 和歌や俳句 川柳のやうに 空間で表現しても よいのかな




思い出したが和文のリズム 5 7 5 を更に分解すると その核は
2 と 3 だとおっしゃった慧眼の士がいたな 捨て難い見解じゃ


筒井大先生は 原稿料を水増しするために 余白は余韻だあ とか
呟きながら 改行や空行を多用し 1/3くらいしか活字が埋まってない
作品を 無理やり読者に 押し付けたこともあったな。
いやいや おっ魂消たことに2ページまるまる空白にした事もあった。
これでは弁慶の勧進帳も顔負けでござるのことよ。
斯様なものがブンガクの実験などといへるのか! もーおこった。




カウンセリングという職業もあるくらいですから 聞く言の葉 読む言の葉
書く言の葉 の間にはなんら差別を置かない という前提に立てば
文章心理学つうのの成立にはなんら疑問の余地はありませんね。
わたしの経験では 夜に書いたものは情熱的です いや妄想的かな
かかる見地からは朝のブログは理知的であり説得力があり透明明澄です
が共に泣き共に怒るというような感情引き込み効果は薄いのではないか
と薄く感じた次第です。


(note: インスパイアード バイ マイ ブログマスターズ エントリ)