こころ充ち足りるとは

普段はごく当たり前に受け入れてはいるのですが、他の動物と較べ
てみると人間ってやっぱし不思議だな。蜜を吸う訳でもないのに花
が大好きだったり、卵を採る訳でもないのにじっと小鳥の声に耳を
すませてみたり、ひいては嵩じて絵画とか音楽に嵌まってみたり。




これらは生存上、必須の事柄とはとても思えない。他の動物は争っ
て、食べて、生殖して、生きていく事に必死になっているのに。
なぜ人間だけ「パンのみにて生くる者にあらず」なのだろう。
進化の必然というものがどこかに隠れているのだろうか?物質的な
欲望より精神的な充足を必要とする理由が種としてあるのだろうか。




美しい夕焼けをみて涙を流したり、本を読んで目から鱗を落として
みたり、貧しい人や病気の人を親身になって面倒をみるマザーテレサ
がいたり、私心を捨てて世の中の改革を図る政治家がいたり、身を
捨てて衆生の救済を願う宗教家がいたり、これらの美しいこころは
どこから出てくるのでしょうか?



いっぽう、妬み、怒り、私利私欲から他人を陥れ、誹謗讒言し、人を
攻撃し、支配し、裏切るような腐りきった根性は生物としての生存に
有利に働くのではないか。ですから、これらはある程度頷けるのです。




共感とか愛とか優しさというのは、個体ではなくもう一段上の存在と
して集団が生存するための本能なのかな。夕焼けとか花はその結合を
媒介する触媒のような表象なのかな?山が好きだったり、海が好き
だったり野や丘や川が好きだったりするのも皆同じなのかな。




う〜ん。精神的な充足ってなんだろう。ここを突破しないと良い人
にはなれないな。公園を散歩して本を読んでゆったりとしても、
心の奥は気ぜわしい。ふう〜