時には知は情を押さえ込むのか

きのうの話で思い出したが、効率重視の極み、冷酷な議論を思い
出した。しかしこれがまた一理あるから怖いよぉ。

人口爆発』(1969 P.エーリック)
論調:慢性的な飢餓に対して食料援助は解決にならない。もともと
国力以上の人口は不自然な状態であり、自然に放置されれば淘汰に
よって適正人口に自動調整されるべきものである。しかるに、援助
によって更に人口が増えれば、更に多くの食料援助が必要になり、
歯止めが全くかからなくなる。

どーだい。切ないだろ。


で、これは実は「戦場における負傷者選別の原理」から導かれた
ものだ。

野戦病院では軍医に比べ負傷者が極端に多いため、予診の目利きが
負傷者を次の3クラスに分類する。
1.治療を受けても死んでしまうであろうもの。
2.治療を受けなくても助かるであろうもの。
3.迅速な治療を受ければ助かるであろうもの。
で、3.だけ治療を施し、1.2.は放置するという原理。

どーだい。切ないだろ。



「世の中には、相手の良心を逆に利用しようとする手合いがいて、
同義的な人々は食い物にされてしまう。」という風潮へのアンチ・
テーゼだとは思うのですが、日本でも最近急速にこういう考え方
が拡がりつつあるのが肌で感じられますねぇ。産む機械とか。
いや、一見合理的なだけに背筋が冷たくなるのです。




「短所を云ったら切りが無い。長所を認めて伸ばすべき。でも
あまり褒め過ぎても我が儘になっちゃうなあ。」(自分語り)