薄曇り時々薄晴れ、一時ぽつぽつ。22.1℃~31.3℃、63%。7700歩。陽射しがあったので真夏日。そろそろ梅雨も明けるかな?
裏腹シリーズ(続き):
元々、正邪というのは相対的なもんなんすね。いわゆる文脈依存だすぅ。相手が正しくて、自分が悪い!という人は、ほとんどおりまへん。(いや、皆無かな?)大体は自分が正しくて、相手が悪いと考えてまふ。
ここにも自己保存の本能が関与しておりまふ。こりは生物学的要請ですから、いくら理性的に考えても、最後は感情が勝ってしまうんすね。仮に相手の身になって、自分の方が悪いのかも知れない?と考え得る人が多ければ、ぜってー争いなんか起きませんのや。
理由はいくらでも後付けできます。イスラエルは「2000年前はおらの土地だった」とか言ってパレスチナに建国したし、ロシアは「ソ連の時はおらとおなじ国だった」とかいってウクライナを侵略したし、「戦争とは取ったもん勝ちだい」とかいって北方4島を占拠してまふ。この辺りになると、国土回復か侵略かは区別が難しくなりまふ。アッチャー
そもそも取った取られたの土地だって、境界がでけたのはそんなに昔ぢゃあーりまへん。国土・国民・国語を柱とする国民国家がでけたのは、ナポレオンの頃かな?ですから、ほとんどの領土紛争はあふぉらすいんだすぅ。
大航海時代に「無主地先占」とかいって、他の欧州国が占領していないところは先に行った国の領土と為す、なんてのがいわゆる国際法ですからね。オープンな土地は、強欲な国が占拠を宣言すれば、その国の領土となりまひた。アッチャー こうして元来オープンな土地からプロプライエタリな土地に変換されたのが領土です。
幕府から見れば新選組は正義だし、討幕派からみれば薩長志士は英雄です。このように文脈依存で正邪が決まるのが人間世界の原則なら、そんなものに拘って国や世界を破滅させるのは、まさにはっきし申し上げて愚の骨頂ではあるまいか?最も激しい正義の押し付け合いが宗教戦争ですね。宇宙人が見たら大笑いぞなもし。
現状の平和を維持するためには「力による現状変更の禁止」っつうのが一見リーズナブルに見えまふ。だがしかし、力によって変えられた後の現状を変更してはいかーんとなったら、侵略した方がエエつうことになって、かえって戦争を惹起してしまいまふ。
つうことで、この複雑に絡み合った人間世界では、そがいにシンプルな原則なんてナインすね。(この項続くかも?)どもども。