7月2日(月)半夏生(はんげしょうず)、スポーツの考察。

 快晴!24℃〜33℃、57%。遠方積乱雲の夏空。





 ゲームとスポーツ:

 アートは日常生活に穴を開ける「驚き」をもたらして、世界の本質に迫るが、スポーツの原点は人間を解き放つ「遊び」である。双方とも自己表現であることは通底している。遊び心はゲームにも当てはまる。スポーツはかだらを使うゲームといってもいいのかも。遊びの中で、イロエロなルールを創作して、その制約の中で如何に自分を表現できるかを競うのであるから、そもそもルールから逸脱するズルは、ゲームそのものを破壊する。そういう意味ではズルをしない公明正大さと、相手の裏をかく戦術とは区別されるべきであろう。

 上記のように、ルールが一旦できると、その中で競うのはゲームの本質であるが、そのルールをもっと面白いものに変えてやろうという柔軟性も、遊びとしては当然である。子供の頃の原っぱ遊びで、様々なルールが作られたように、スポーツでもある制約を解除したり、または新たな制約を課したりという変化で、様々なルールが生み出されてきた。

 日常に穴を開けたり、刺激を求めたりするのは、退屈が起源のように思われるが、哺乳類の子供はいつも仲間とじゃれあって遊んでいる。鳥類もよく遊ぶと言われているから、遊びには退屈を紛らす以上の、生物が生きていく上での、もっと本質的なものが含まれているような気がする。つうことで、「遊びをせんとや 生まれけむ」。ども。


 追記:
 中学校の頃、アクティブラーニングの自主研究があって、イロエロなスポーツの起源やそこからの派生と分化、多様化を調べたことがあったが、これは結構おもすろかったでやんす。そもそも古代オリンピアードでは闘いの技術を競うのが基本でしたから、競技者は男だけ、体操も軍事教練みたいのから発したのは確かだから、西欧発祥のスポーツは闘い起源が多いです。但し、ボールゲームは遊び発祥が多かったでげす。



 さて、今日は早寝して、明日は超早起きをしてみようと欲す♪

 もはよー♪折り返しまできました。0−0!
 う〜む。激戦!みんなよくやった!感動した!これからは足の速い若い人の時代だっ。みんな今日の試合を見ていたと思ふ。

 あっ、太った半月が出ている♪