12月23日(土)天皇誕生日に乃東生(夏枯草が芽をだす)

 概ね晴れ。1℃〜13℃、37%。昼間は暖か。

 昼頃まで寝ていたから、一日が極めて短かった。ザンネン




 路傍の石と月の石:この世界はすべて内心の投影か?


 物事の真贋を見極めるのは難しい。路傍の石と月の石は見かけは殆んど同じであーる。微妙に構成成分が異なるだけであーる。宝石としての美しさもないし、漬物石ほどの重さも無い。でも、ときおり月の石と称して数億円でネットオークションに出品される。誰も買わないけど。

 価値というのは、その大部分が「思い込み」で構成されています。モノホンだと思い込めば、その人にとって価値があるし、野暮な鑑定士がニセモノと断定すれば、その価値は一瞬にして崩壊すると。絵画でも、時折り偽物が出ますが、その芸術的価値が劣るかといえば、そーでもない。何しろ見た目では判別できないから、素材の化学分析や年代分析などをして判定するくらいですからね。

 価値とは希少性であーる、という経済学的な見地もあります。現に版画なんかは原理的にいくらでも刷れますが、限定10枚刷りとか称して、価格を維持したりしてます。現代版画家で100枚刷りくらいだと、ぼくにも手の届く価格帯になりますよっと。ここまで行くと、何がモノホンでなにがニセモノかの境界は、極めて怪しくなります。なにしろ101枚目に刷った版画は偽物かっちゅうことですから。

 こう見てくると、外部世界の真贋というのは、結局内心の問題に行きつくわけです。価値というのは表の世界に確固として存在するのではなくして、内心がモノホンと思えばそれが真なんであーる。世界にこれだけ真実や正義があって、お互いに争っているのがっ、その証左でもあーる。ドヤドヤ?



 追記:そー言えば、ぼくの本棚には小石や饅頭大の石がごろごろしてるんすが、これは昔外国に行ったときに、海岸や河原で拾ったものをお土産にしたもの。値段の付かない単なる石ころのお土産ですが、思い出が詰まってるから、”自分だけには”極めて素敵に価値があるものなんす♪