5月29日(月)「正しい」とは普遍的でないような希ガスる。「真」だって世界に対する態度に杉ないかも?

 今日も清々しい五月晴れ♪18℃〜26℃、58%。久しぶりにプールだん。



 

 狭量とは:自分だけが正しいとする考えである。

 哲学的には昔から「無知の知」ってのがあって、自分はいかにものを知らないのかと自覚するところから、哲学は始まるという。「俺は何でもしってるもんね。へっ!ゆえに無知なおまえらに本当のところをおせーてやるぜ。へっ!」ってなのがネットには溢れてますね。へっ!

 昔自慢ばっかしして、後輩から煙たがられるロートルは、既に自分で実績を上げれないお年頃。医者や弁護士、あるいは教師に過大な要求をしてイチャモンばっかし付けてるクレーマーは不安でたまらないから、他責にして紛らわせる。店にクレームばっかしゆう人は、自分の居所が社会に無いと思てるんかな?

 近隣諸国をヘイトして、自国自慢ばっかししているネトウヨも、ホントは自信がなくて、心からやりたいこともなくて、人との繋がりも少なくて、ネットで威張って辛うじて自分を認めれる可哀そうな人なのかもしれません。勿論パヨクと言われる人々も相手を小ばかにするからいけません。

 つうことは、世界を良くしようなんて大望を抱くこと自体が、そもそも畏れ多いことなのかも知れないな。人間世界の悲劇は、世界を良くしようとする動機から始まるのかっ!宗教間の正統性争いや、平等か自由かの政治的争いや、世界に冠たる自分の国を広めようや、イイことに拘ってるとろくなこたーない!ここは一つ、自分や自分の見える周りを良くしようって小さな願望にしといたほうがよ官兵衛。







 文化文明とは:


 とても奥深くって素晴らしいと思える文化も、ある時期には極めて薄っぺらくなりまふ。文化大革命後の中国とか、ソビエト時代以後のロシアとか、昭和前期の日本とそこに帰ろかなって今とか。全て大きな物語に、文化の多様性を収束させた時期でやんすよ。タハハハ