8月27日(水)言葉にしたことで既に単純化、抽象化が行われているとは

 曇り、ときおりポツリポツリ。20℃〜22℃、81%。長袖でも涼しい。





 記号化(含む言語)とは同化なのか?

 もともとこの世界には全くおんなじものなど一つとしてないのだっ!と言うとこまではイーかな?
「いやいや、全く同じものだって沢山あるんじゃないのん?」と言う御仁もいるかも知れない。でもそれはその御仁の頭の中では同一なのであって、実際は細かな差異があるんだすぅ。これが現実世界の実相。

 例えばプチトマトといっても、それは一つ一つ微妙に色やシミや味が全部違うんですが、それら細部をすべて捨象して記号化したのが「プチトマト」だす。そして大きさの違いをを捨象すると、普通のトマトとなる。「同じ」という範疇が拡大したわけです。ナスとかキュウリとも細かいこと言わなけりゃおんなじだよね?で野菜になり、種から生えて光合成するとこは同じだよね?で植物になり、生きてるとこはおんなじだっ!で生物になり、・・・どんどん同化が進むと最後はただ一つのものに収束すると。それが「神」さま。これが一神教の基本的な考え方なんだと。

 現実にこの世にあるものを抽象化せずに、つぶさに見つめればぜーんぶちげーんですー!これが一切万物悉有仏性の教え、すなわち八百万の神様に至ると。どっちがエーのかは、お好み次第なーり♪

 う〜む、すかすすかす万遍なくダラーリと存在するものを分けていって(分別して)記号を付けるのが、言葉であるっちゅう唯名論もあるな。「山は山ではない、ゆえに山である。」(金剛教)デコボコの地形を高いとこと、途中の盛り上がりと、平たいとこに分けると、山と丘と野がでけるんだい!つまり山ではないとこを分けて山がでけるの喩え!なんじゃらホイホイ???