4月14日(月)複雑化する世の中では全員一致は無理ですよね?

 概ね晴れ。11℃〜17℃。花粉は杉からヒノキに切り替わりつつあり。去年やった18種のアレルゲン検査では杉花粉だけが陽性だったからもうすぐ花粉明けだね♪


 駒場からの帰途、昔住んでいた松原近辺に寄る。馴染みのスナックは既に無し。昔の我が家は3軒の住宅になっていた。結構広かったんだ。でも柿や夏蜜柑の木は無くなっていた。夕空を見上げると盆のような14夜の月が煌煌と昇りつつあり、過ぎ去りし日よ。





 衆議一決とは:感情ではなく、事実と納得であーる。

 昔の日本社会では武家も百姓も町人も共同社会での意思決定方式は全員一致が原則であったと言ふ。戦評定ばかりでなく町や村の寄合でも全員一致するまで話し合いを続けたと言う。これは皆が協力して作業に当たる農村社会の風習であり、農村由来の武家にも引き継がれている。

 すかすこの全員一致方式には共同体の意思統一を図るという良い面はあるものの、不満を内在させつつ無責任体制を齎すといふ不都合もあった。元来、氏も育ちも異なる人々の意見が一致するという事は稀であり、それが一致するのは表面的なのであーる。なるべく物を言わずに空気を読み、その空気の大勢についた方が使うエネルギーが少なくて済みます。異論を唱えたればその理由を言わねばならず、理由を言っても次々と質問が発せられ最後は同意させられると言ふ文化は必然的にピアプレッシャーを押し付けるものなんであーる。

 これが日本社会の源流であり、骨がらみの空気読みかつ無責任体制の元なんであーる。拙はこの文化を必ずしも否定する者では御座らんが、個々人の意見を実名で発し喧々諤々の議論の後、誰が何を言ったかの記録を透明化し自らの意見に責任を持たせる仕組みが無くんば、かっての原子力安全委員会のように官僚が用意したアジェンダを異議なしとして誰も責任を取らんような文化は変わらんであろうよ。

 発した言の葉は盆に返らず!前言を取り消してうやむやにするような言論人や議会人が多出する世はまさに「言うだけはタダ」の言葉は羽毛より軽しでは有るまいか。ドモ