1月15日(水)雉始雊(雄の雉が雌を求めて鳴く頃)、小正月

 寒曇り。終日3℃前後とさぶい一日。手足かじかみ耳が痛いですゥ。都心で雪の予報もあったが低気圧は南寄りを通過し霙も降らず。






 知の壁:人は何処まで信用できんのか?

 馬鹿の壁ってのがあったけど、知の壁ってのもたしかにありますね。どんなに知りたいと思っても人間には能力の限界、知能の限界、体力の限界があります。なにしろ毎年何百万点という膨大な知識が出版されてますから、とてもフォローできませんですハイハイ。

 そこで一般人は知識を専門的な解説者に依存するわけです。今ではあらゆる分野に解説者、評論家、お宅たちがいて独自の視点から事物の本質を解釈してくれます。しかしてその信憑性や如何に!断言する人はいっぱいいて、一見その発言には説得力があります。それがイロエロな伝説を生むと。昔は「運動中に水を飲んじゃいかーん!」とか「投手は肩を冷やしちゃいかーん!」なんてコーチがいっぱいいますただ。彼らはいつも断言してたから生徒はいくら脱水しようと水を我慢してましただ。ハレハレ


 ホントは断言よりも科学的な実証だったのれすね。しかしそれを正しく解説してくれる専門家がいなかったと。では我ら凡人は如何にして専門家を評価できるのか?これは難しい問題です。正解はありまへん。1回でも嘘をついたら、もうその人は信用でけない、つうような原理主義では全ての人を信用できなくなりまふ。人は嘘をつくという本質を認識した上で、その頻度や、どういう場合にどんな嘘をついたのかを検証して専門家を評価すべきでしょう。まず人から入れ!これが知の壁を突破する一つの方法かもね。ぷ


 例えば選挙の場合でも、一般人は時間や能力の限界もあって全ての候補者の政策や人物、性格や思想などを調べきれません。そこで新聞、TVなどの識者の意見に頼らざるを得ないのです。そこで信頼できそうな人をまず選んで、その人の意見で信頼できそうな代表者を選んで立法の場に送る、という2重の代表制が民主主義なのか???
 

 ああ、どこまでも分業体制なミンス主義よのう!タハハハハ





 自己言及と民主主義:

 自己言及的な語りを得意とするタコ足氏の名作@「オレは自分語りをする人間がきらいだよというのは自分語りなのかな。」
リカーシブな構造というのは自律的な生命現象の基本とか言われますゥ。

 そこで民主的な手続きで民主主義を否定するのは可能なのか?「民主主義は嫌だっ!」というのを民主的な選挙で決めようぜィ。という事態がイージプトで発生した。世界(イクセプトにっぽん)はこの珍現象を見つめている。つうような呟きが弁当箱の片隅から聞こえてきました野田。
「軍政支持を確認する国民投票なんて民主主義の悪夢みたいなもんだが、日本だと話題をあまりに見かけない。」だと。プププププ