6月13日(水)大雑把さが発達・発展の駆動力であーる(考)

 概ねうす曇り、夕方からときおり雲漏れ陽。涼しい。


 改めて周囲を見渡すと、今はどこもかしこも花盛りですねえ。アジサイや花菖蒲以外にも野の花や公園の花壇や民家の軒先はもう花で一杯!わだすのゴーヤにも黄色い花が付きますた。どや♪



 ふと梅の字の毎は「くらい」という含意ではなかったか?別に花自体は暗くも何ともないけどね。なぜなんだ?謎深まる。





 ジュウシマツやデグーハダカデバネズミなどのコミュニケーション行動を通して言語はどーして生まれたのか?を探っている岡ノ谷学派の理論はそのアバウトさがわたしにピッタシ合っているのでちと紹介しようかと思いまふ。
 まず、ジュウシマツ(以後ジュウと呼ぶ)とその野生種であるコシジロキンパラ(以後コシと呼ぶ)の歌声学習を比較する。約250年前の江戸期に野生種のコシから飼育動物ジュウが作られた。半年1世代として、その間約500世代が経過した。で、どういう風に彼らの歌声が変化したのか?
 コシの歌声文節は比較的単純で4文節の繰り返し、一方ジュウの歌声は非常に複雑な文節から成っていまふ。ジュウのオスの体格が大きいほど、その歌が複雑であるという相関があり、したがって歌が上手いオスはもてると。すなわちジュウの歌声の複雑さは性選択を通して進化したのです。そのためジュウのオスの子供は色々な大人のオスから歌を学習いたします。
 コシの歌は、自種と近縁種を区別するために謡われるので,それほど複雑にはなりませんでした。だから学習するのも父親のみからです。交雑を防ぐためと、歌の複雑化コストが野生ではマイナスに働くためと思われまふ。またコシの同所性異種が多いほど歌が単純化し尖鋭化することも分かりました(台湾でのフィールドワーク)。
 ジュウはペットになったことで、近縁種認識の必要が無くなり、歌を複雑化するコストも気に掛けることもなく、自由にメスを誘引することが出来るようになりました。またコシのような新奇恐怖も緩和されて色々なオスから学ぶことができるようになりました。それで何でも受け入れる「大雑把さ」が出てきて学習に加速がかかると,コシのような頑なさはすっかり消えてしまいますただ。
 で、これを強引にヒト類に当てはめると、人間も自己家畜化して複雑化し始めた→生得的発声が緩和し→学習により多様な発声ができるようになる→多様な意味を付加し表現できるようになると。すなわち、多様性の発現にはペット化による「大雑把さ」必要であったのだあ!かくして言語は止めどもなく複雑化し多様化し方言化し隠語化し、その乱れはとどめようもなーし!ズッシーン