3月5日(月)身体性のある言論についての前考

 寒雨しとしと、夕刻上がる
 

 身体性というとギリシャ彫刻のような美術品を思い浮かべるかもしれませんが、ほんとの生きている実態はもっとどろどろしています。汗に塗れ涙を流して苦悶し、反吐をはき糞尿を垂れ流し、垢に塗れ血を流す。臭いし醜いし死ねば腐ります。このようなところに依拠するのが身体性ってことですか?ハイ
現に解剖すればこの皮膚の下にあるのだって、豚の肉と変わらないしね。食べようとおもへば食べれます。
 痛みってとても大切で生存にとってクリティカルなもんなんすね。歯医者なんかで治療するときは、痛みなんかないほうがいいや、と思いますが。麻酔して麻痺させれば何の痛痒も感じないんだから、本質的じゃ無いような気になりますが、もし痛覚なかりせば血が出てても、火傷しても、骨が折れてても、そのまんま生活続けて、ついには生存を断念すると。タハハ
 つまり、心の痛みにも何らかの生存上の意味があるんではなかろーか?と、ふと思った次第です。

 植物には痛みってあるのかな?こればっかしは植物になってみなけりゃわっかりませーん。中枢神経系がないから多分痛みはないとは思うけど、虫に食われると嫌がって殺虫物質出したりするからな。不思議な生き物だ。ふむふむ。