10月25日(火)感情をバカにしたらあかんでぇ!すべてはここから始まるっ



 こんにちは。天高く人肥える秋。南風にて気温やや高し。
25℃超えたかも。やはし都会の空気は深山幽谷の霊気とは
違いますねぇ。比較してはじめて分かることもある。

















 喜怒哀楽って感情の起源を霊長類で研究してる人も多い
ですが、怒りの感情ってのもおもすろい。こないだのオザー
さんの会見で読売の恒次徹記者がルール違反したとかで主催
者につるし上げられてるニコニコを見た。「なめてんのかっ、
オラー!」つうのが主催者の怒りの大元。普通の記者なら
悪人とされてる者には畳み掛けて質問するよね。それをルー
ル違反として咎めてる主催者たち。見苦しい。これが良き
庶民の感覚かな?


















 一方、主催者の側からしてみればマスメディア不信、検察
不信のオザーさんを呼べたのは、「弾劾の場にはせず1社1問
のルールは守らせるっ!」としてようやく開催に漕ぎつけた
のに、そのルールを守らず詰問を繰り返した大手記者には舐
められたとおもたんでしょうな。自由な質問を詰られた記者
と、ルールを破られてメンツを潰された主催者、双方の言い
分は分かる。ここから後は、どっちに肩入れするのかの立場
の違いでしょーね。
















 ま、わたすはもっと根源に戻って、「なぜ怒りという感情は
湧き起るのか?」っつう疑問を突き詰めたい。諸君も我とわが
心を振り返って反省してみなはれ。全くおんなじ言動をされて
も怒るときと怒らないときがあるのれす。それは言動の内容と
言うよりか相手との位置関係が大いに関係するんですね。これ
は霊長類からのある社会的な圧力関係が関係するとも言われ鳥
もす。
















 つまり、上位者から言われれば竦(すく)む、下位者から言
われれば怒る、ってなもんですぅ。全くおんなじ言動でも窘め
られたと思えばシュンとして従う、舐められたと思えばカッと
なると。ですから上杉くんは読売社会部の記者を下位だとおも
たんです。これがオザーさんがルール違反して質問に誠実答え
なかったとしても、上位者ですから怒りは発しません。多分ね。
ああ、我らは感情面において如何に霊長類からの縛りを受けて
いることか。論理で感情を抑えれる達人になるには如何ばかり
の修行をようするのか?














 強きを挫き弱きを援くるということを、感情面から妨げる壁。
これを乗り越えた偉人、宗教者、哲人を如何に尊敬してもし杉
るといふこたーなかんべさ。あ、どもども。














 とわいえ、オザーさん問題は既に社会部マターになってんの
かねぇ?社会部といへば警察・検察垂れ流しを記事にして糊口
をしのぐ記者クラブの常連。いきおいその心性が身に付いて正
義の弾劾が彼らが役割、悪者は天網恢恢疎にして漏らさず。屹
度我らがお縄にしてみせるっ!っつうつおい気概が感じれる。
これが「官報一体体制」の肝を為す社会の木鐸たりし所以なり。
ジャーナリズムの役割はもうちっとちげーところにあるような
希ガス

















 ここでもう一度恒次次長の立場に戻って考えれば、世の中
には色々な無法が見過ごされてガラス窓症候群に陥ってる事
例は多いですぅ。駐車違反や放置自転車または交通違反など
、誰もがそれを見過ごしていれば社会は混乱の極み。現に中
国では列にちゃんと並ぶ正直者などいないわな。俺が俺がの
我がち社会。子供が事故に合っても誰も助けない事例も報告
されてます。そんな社会にしたくないっ!って恒ちゃんの使
命観は分かる。でもね、それを政治の世界にまで敷衍して自
分の正義に酔いしれるのは如何なもんか?って気になりまふ。
まず、社会の木鐸たらんとするものは、人の作った土俵にて
相撲を取らんとするときは土俵のルールに合わせるものでは
ござらんかい?













 とかいふ話はさておいて、怒りを鎮める一番は、目下の者
からゆわれたら、そのことを尊敬する人からゆわれた時はど
ー感じるのかを一拍おいて思い致すのがよかろーかと。怒り
の構造問題って一部の怒りにはあるよーな希ガス。勿論そう
ではない怒りってのもたくさんあるけどね。特に対象がない
公憤とか、自分のどーしようも無さに対する怒りとか。












 これは深いから、もうちょと考えよう。感情と理性の狭間。













 スポ~~~ン