8月15日(月)66回目の終戦記念日にて過去を想う


 こんにちは。概ね雲の多い夏晴れ。昼間は33℃前後。
アスファルトの上はまるでサウナの様に蒸っし蒸し。処々
夏休みに入ったらしくビジネス街は閑散たり。反してエンタ・
プレースは子供たちで賑わう。













「林檎の木」の格言オリジンは?

「明日世界が滅びるとしても、今日君は林檎の樹を植える」
開高健)つうのがモギケンの「心と脳に効く名言」に
載ってたのを見たのが僕の最初。

まづ結論から記す。

マルチン・ルーテルが説教で言った?(と次の回状中にあり)→それから400年後1944年ドイツ壊滅の寸前にドイツ・ヘッセン教会の回状にルーテルの言として載っているのが文献としては初出。→東欧の詩人・作家C.V.ゲオルギウ(ギリシャ正教大司教でもある)の小説「第二のチャンス」(1952年)中にマルチン・ルーテルの言葉として引用される。→イロエロな文化人に伝わる→さらにひ孫引きされる。


このルーマニアの作家コンスタンチン・ヴィルジル・ゲオル
ギウは1950年に発行された第2次大戦中の東欧の悲劇を
描いた世界的なベストセラー「25時」の作家であり、それ
だけ世界中の文化人への影響が大きかったといへます。これ
は、ぼくも高校の時に読み大きな影響を受けますた。












  
 ドイツ教会の回状に何故マルチン・ルーテルの言葉として
載ったのかは、当時の明日をも知れぬ絶望的なドイツの状況
の中で、先人の言葉として難を避けたという街の文献学者の
言葉が説得力ありまふ。









文化人の中の伝言ゲームとして、イロエロなオリジンと文言
が語り伝えられており、おもすろす。


オリジン:


マーチン・ルーサー・キング師説:マルチン・ルーテルと
同じ綴りだから?
リルケ説:高木彬光氏の詩人つながりでうろ覚え?
・ゲオルグ・ゲオルギウ(ルーマニア共産党指導者)説:寺山
修司のうろ覚え?
・C.V.ゲオルギウの「25時」が出典説:有名な小説の
方に印象が引っ張られた?
開高健説:冒頭文のように「私は」を「君は」に替えた色紙
を沢山残してはいるがオリジンとは言い難い。
これが一応孫引き誤説の5大パターンですが、ひ孫引きになる
ともう誰がオリジンかはしっちゃかめっちゃか。















文言イロエロ:

・「たとえ世界の終末が明白であっても、自分は今日リンゴの木を植える」(「第2のチャンス」谷長 茂訳)
・「もしも世界の終りが明日だとしても、ぼくは林檎の種子をまくだろう。」(寺山修司映画「書を捨てよ 町へ出よう」)
・「もし世界の終りが明日だとしても、私は今日林檎の種子をまくだろう。」(寺山修司「ポケットに名言を」)
・「世界の終焉が明白であっても、自分は今日、リンゴの 樹を植えることだ。」(梶山健編『世界名言事典(新版)』)
・「世界の終焉が明日であっても、自分は今日、りんごの木を植えることだ「第二のチャンス」より」(ウェブ石碑−名言集)
・「たとい、この世界が明日くずれ去ろうとも わたしはわたしのリンゴの木を植えることをやめないマルティン・ルター(1483〜1546)」(ヘレン・エクスレイ編・中村妙子訳 『シリーズ<手のひらのことば> 希望のことば』 (偕成社、1999年))

開高健氏はC.V.ゲオルギウの「第2のチャンス」に影響
を受け、この言葉の伝道師にならんと欲したようだ。この言
葉を以って、ベトナムなどで死地に赴いている。その影響で
派生した文言:
http://www5f.biglobe.ne.jp/~tsuushin/sub10.html














 本稿は、多数のネット文献学者の業績に依存していまふ。
匿名な彼らの真摯な追及が無ければ、オリジンの探索など
全く不可能であろうことは容易に推測でけまふ。感謝感激!















 ま、オリジンはともあれ言葉そのものに力があったと言う
ことでせうね。(今のところの証拠では)本土決戦で国土が
壊滅しつつあったドイツで教会関係者がそれでも明日への
希望を失わないように発したものと推察される。日本では
戦地の将兵、民間人みんな自決しちゃったけど、当の東条
さんは阿南さん五十六さんみたいに自決もきっちりできんで
生き恥さらすとは。でも、今の日本は生き恥の上に立ってい
るのは確かだ。

















ショボーン