7月17日(日)考えることを考えてると考えることが煮詰まるどころか発散しまふ

 こんにちは。快晴。久しぶりに富士山が黒く霞んで見えた。
ちょと速歩で汗をかいてこよと、表に出ただけで汗だらだら。
こういう汗は良くないだす。徒に喉が渇いてビールがぶ飲み。
タハハハ






 かほり生活の一環としてミラノからきたボディ・ミスト(
モノイ)を買ってきた。風呂上りに一吹きするとお肌にもエ
エそうだ。果実エッセンスミックス。ついでに首巻ひえひぇ
〜るもゲッツ。熱中症予防に散歩で使おう。









 言語に概念をおっかぶせて物を語ろーとするから恣意的に
なるつう説と、いやいや思考のパターンはアプリオリに決ま
ってるんだから基本は共通だいつう説がありまふ。前者の論
拠は唯名論的に認識深度が言語に現れること、後者の論拠は
各言語間で翻訳が成り立つからだといふ。ま、認識論的な
議論ですが、ソシュール対カントともいへまふね。哲学に正
解はな〜い、つうのはシンプルにはこのような事情によりま
ふ。もっと根本的には考え方のタイプだから解は無限にあり、
その中から自分に合ったものを取ればエエのだ!つう突き放
した見方もでける。もっと言えば科学だってデカルト的な思
考方法ではあるけどほんとは正解は無いのだということもで
まふ。正解は次々と書きかえれらてゆくと言い換えてもイイ。
だから科学的だから信用でけるってことには必ずしもならな
いだす。分かったことと分かってないことを峻別する必要が
あるし、分かったことが増えるほど(知識で膨らんだ風船の
界面のように)また分からないことが増えて行くもんなんす。
もっともっと謙虚にならんけりゃアカーンべぇ!











 そうそう言語的なお遊びに「神の存在証明」つうのがありま
ふ。まず、「神の定義」:絶対者、あらゆるポジティブな特性
(真、善、美、完全無欠、愛、・・・)を持つもの。
cf.あらゆるネガティブな属性(悪、偽、醜い・・)を持つ者は
悪魔とされる。
そして「もし神が存在しない」とすると神は「存在しない」と
いふネガティブな属性を有することになり、定義に反するのだ。
ね、くーだらねえでしょ?でも論理的には完璧なんすよ。なに
しろカントが考えて、後の論理学者はだーれもイチャモンつけて
無いくらいにはね。で、そういう絶対神が論理的に存在したとし
ても、ある人が神を実感できるのかどーかは、また別の話です。
前者をレアリテートな存在、後者をアクトゥアリテートな存在
として区別するが、これが言語記述または発話表現により互い
に回収したり回収されたりしまふ。神以外にも「わたし」とか
「今現在」とか事象内容的な存在と実感存在との相克をもたら
す概念はいっぱいありまふぞよ。概念を以って概念を語らす自
己言及的な構造は必ず矛盾を内包し再帰的に繰り返すのであー
る。






 ってやってると、考えること自体が空しくなりまふから、ま、
てけとーなとこで日常性に埋没した方が無難でせう。なにしろ
考えなくっても飯は食えますからねえ♪









プププププ