8月28日(土)歴史の闇に消え去りしもの

 こんにちは。夏晴れ。これだけ高温が続くとかえって爽や
かですねぇ。もう積極的に外を出歩くことにしたです。アセアセ





 今日は新宿から浅草に回って、産婆フェスティバルを見物。
人大杉!その後、橋を渡ってスカイツリーを見物。流石デッ
ケー!!!史実として出来掛けタワーの写真をイッパイ
撮ったぜ。もちろんサンバ・ギャルのお知りもイッパイ
採っただよ。ウシウシ


















 こんなん見っけますた。
「明史・日本伝・豊臣秀吉
http://www.geocities.jp/cato1963/hideyoshi.html



 明朝の歴史書で権威ある「正史」なんす。大よそ合ってる
が細部は微妙に違ってて、おもすろ可笑しい。アハハ
(関白?の)信長が木の下で寝そべってる秀吉を見つけた
から、彼の名は「木下人」となりました。それで信長が「
阿奇支(アケチ)」を討てと秀吉に命じて、秀吉が阿奇支を
討ってる隙に信長は明智に討たれたと。それで秀吉は兵を
返して明智を討ち天下を平定したと。概ね合ってるんですが
微妙におもすろい。明智と阿奇支の二人は別者だと思ってる
のは中国語には日本語のように読み方が沢山無いから間違え
たと思える。しかして薩摩とか(小西)行長とか九州関連が
多いのは中国の情報源が倭寇琉球などだったからではない
かと。それで、その後朝鮮は秀吉に席巻され、もしも彼が
死ななければ明朝も危なかったと正直に述べている。最後は
子供が泣くと倭(ジャップ並みの蔑称?)が来るよと。














 記述は海賊や商人からの又聞きで、でたらめだが核になる
ところは微妙に合っている。正式な国交は菅原道真以来6百
年くらい無かったからガセネタの裏も取れない。ましてや
これより千年以上も前の「魏志倭人伝」などは如何なる風聞
で記述したるや?卑弥呼なんかは数人居そうですね。邪馬台
国も数個所あるんでねいかい?こういう史書を研究する学者
もつくづくごくろうさーん!と言いたい。
















 時の政権が前政権を貶めるために悪く書くのは常識れすが、
このように善意に基いて正確に書こうとしても、史実ってえ
のはノイズ入りまくりなのれすね。ましてや文字を持たない
民の真実は歴史の闇に消えていったことでせう。インカ、ア
ステカ、はたまたアフリカ諸国の王朝、アイヌの文化などな
ど。スペイン語や英語、フランス語、日本語で残った史実は征
服者の史実。その真相は永遠に闇の中。ただ残るのは虐げら
れた民草のイマジネーションの中だけなのです。黙祷。

























 だから史実に捉われずに、自分の思いをイマジネーションにのせる
佐藤賢一氏の「小説フランス革命」なんかは一つの行き方な
のれす。それを史実と混同するしとはおりまへん。しかし偉
大なる日本精神の記述者@司馬遼太郎の小説は史実と見まご
うばかりの影響力にて、龍馬や秋山兄弟、織田信長など人々
それぞれに感情移入して、これが歴史だあ!と感激している。
実際の生身の人間はイイとこもあれば、卑しいとこもある。
そして、何よりもその時代の制約(社会制度、価値観、文化、
習慣、常識などなど・・)からは逃れ出でません。その善悪
や人物観は関係者個々の立場や利害によって皆異なるのであ
って、これは歴史ぢゃなくっても、今ここの現在に当て嵌め
て見ても当然でしょ?ちげーかな。


















 わたしはここでシニカルな見方に賛同してるんぢゃなくて、
今の人も歴史上の過去の人も、けっして単純な善悪だけでは
割り切れない奥のふか〜いもんだと、こころの片隅で秘かに
感じて頂ければ、また一層人生が味わい深いものになろうか
と、くどくどと述べたに杉ませぬ。ではでは。どもども。

















追記:
なぬ!横浜シエルが無くなるだとぉ。ここはかの有名なミラ
ーマン@植草センセの縁故の地。ここのエスカレータでかな
ぎゃわケンケーの司法警察員に付け回され、しなぎゃわまで
追われて、とうとうお縄についたと。もともと氏には変な性
癖はあれども、このケンケーのしつこさも異常だなと、当時
感想を持った次第でした。ああ、過去は走馬灯の様に消え去
って逝くんれすゥ。