自分と言うものを考える原点

今後の考察における生物的な前提。
単細胞生物には生も死もない。なぜなら同じものが分裂して増えていく
だけだから。全部同じもの。有性生殖になって初めて他とは違う自己が
でき、従って生や死が生じる?
プラナリアはどんなに切り刻んでも、各片から全体が再生されるという。
この場合、自己というものはどーなるのでしょう?クローン?
消化器、生殖器、神経系もあるのですがどれが本体とは言えないから、
ゲノムが本体としか言いようがありません。これと人間の臓器移植との
関係は?記憶が移し変えられれば自己も移って行くのか?
それでは、記憶と言うものが自己なのか。記憶が無くなれば自己も無く
なるのか。それなら記憶をペタ・コンピュータに移せれば自己を移した
ことになるのか。感情とか感動は本当に脳内物質だけでコントロール
れているのか。脳科学者は然りというのだろうね、味気ないけど。
では、しばしTVを見てこよ。



イッチローを見てきた。バットが体の一部分感覚なんだって。それで
毎回満足する満足人間なんだって、満足しないと次が見えてこないん
だって。星を見つめて、ではではおやすみなさい、また明日。