ディベート文化と和の文化

こんばんは。今までTV見てたら日記書くのが遅くなってもうた。
わたしも遅まきながら秋風邪らしく、おつむがズキンズキン。
みなさんは如何お過ごしでしょうか。



さぶぷらいむにもメゲズ、今日は株価も少し戻しましたね。でも、
大前さんは11月が危ないとか、オドシ入れてました。こわいよお。




さて今日のネタは「論争か協調」か。どちらがいいのかな?
まづ、「全ての物事には明暗がある。いや、これは必ずある。神ならぬ
人間のやることには完全という事はない。割合はどうあれ、必ず良い点
と欠点は混在しているものである。」という前提を認めるところから
始まる。これを認めなければ話は簡単で、話はおしまい。いや、始まり
ません。




そこで、自分の心情、思想、信条、損得に有利な面だけを強調して相手を
論破するのがディベート文化。これは謂わば闘争です。一方、価値観とは
気質に負うところが大きく、友愛感情とかもろもろの心情に流され易いと
認識して、相手の側の一部の理にも理解を示そうと努力を怠らないのが、
和の文化かな。もちろん双方の文化にはそれなりに良い点、悪い点が多々
あるのは言うまでもありませぬ。



で、わたしは当然玉虫色ですから、すっきりと割り切らぬ「和」のほうに
シンパシーがありますね。だから、ミャンマー軍政にもいくつか良いとこ
あるかも試練、とか米英の民主主義にも悪い点が多々あるのでは、と考え
るのがバランス感覚だと自讃する傾向はありまする。当然、ある人から
見れば卑怯な態度に映るでしょう。単に負けるのが嫌で旗色を鮮明にしな
いだけかも知れませんから。




一般に、為政者は自分たちの政見、施策の良いところだけを誇張し、都
合の悪い点は論点をずらして触れないようにしていますが、わたしの見る
ところ、これは短期的には効果があっても、中期的には副作用が生じて
破綻をきたす態度でしょう。しかし、政治も経済もグローバル化が進むと
どーしても短期的な成果に目が移ってしまうのでしょうね。これからは
為政者は特に良い点とともに副作用も上げて、そのバランスの中で全体と
してこちらの施策を取ったのだ、とか誠実に説明して欲しいものです。
国というのも人体以上に繊細なものですから、インフォームドコンセント
はとても大切だと思うわけです。(昔は医者も威張っていて、「素人は黙
って任せてれば良い」とは言ってましたけどね。時代は変わってますぅ)





さて10月から始まった「郵政民営化」は如何なる結果をモタラシテくれま
すか。結論はまだまだ先の事ですぅ。もやすみなさいまし。