ほうほうほうほう、今日は法の日らしいよと、こんばんは。
遵法精神の高揚にはなんと言っても、法の公正かつ厳格な適用であろうよ。
出鱈目な判決で、しかもこれを誰も守らなけりゃ、法になんか従わんがな。
ひろゆきに関しては、下らん判決を取り下げるか強制執行するかどちらか
だろ。しかし肝がふてえ奴だな。俺なんざ50マソ円払えなんて判決が
出ただけでもビビルぜ。かれこれ3〜4億円も課徴金が溜まってるそうや。
しかし、ほうほう言いながら法を無視したジジイ宰相もいたな。ソラマメ
のおやじ。死刑囚を逃がした超法規的措置も当時の世間では受け入れられ
たのだろうか?いまなら、テロとの戦いをなんと見るとか有志連合に非難
されてるかもね。どこか宇宙の彼方で、死刑について米つけたが、お見事
にスルーされておるな。ま、こんなもんだろ。しかし、命は地球どころか
羽毛にも比されようかという位にミャンマーでは衝撃映像。ネット規制も
SARSの頃の北京とよく似ているぞお。ペンは銃より強くないかも。ヤダヨ
話は突如飛びまして、ワシ最近、西洋カブレにも秋田ので「老子」の
入門書を齧っているのよ。
道の道とすべきは常の道にあらず。
名の名とすべきは常の名にあらず。
名無し、天地の始めには。名有り、万物の母には。
故に常に無欲にして以って其の妙を観、
常に有欲にして以って其の徼を観る。
(真実の道といわれるようなものは、恒常普遍の道ではない。
真実の名前といわれるようなものは、恒常普遍の名前ではない。
天地の始まる以前には、どのような名前もまだ存在していなかった。
天地が分かれて諸物生じ、これを区別する為に始めて名前ができた。
ですから、常に無欲である人は天地が分れる以前の形而上の世界を見、
有欲な人はこの世に現れた有限な形而下の世界を見ます。)
と、ここまでですが、「名無しさん」のほうが「名有りさん」よりも
高級そうなとこまで読んで疲れた。最後は「無為自然の思想」にまで
つながるらしいから、如何にも俺に適してそうで楽しみだ。
あと柔弱は堅強に勝るとして「水」をそのシンボルにしているようだ。
柔弱で水がすきな俺に適した思想ではあるまいか。では、おやすみなさい。