何の脈絡もなく、字を書くじーさんの話で思うこと

みなさん、こんばんは。いろいろと小さな世界を用意しておくことは、
住み辛い世を少しでも住みやすくする知恵かも知れないですね。
でも、あまりに深く掘り杉ると、嵌まってしまって戻れなくなるかも?




わたしの記憶は夢のように脈絡なく、あっちへ飛んだりこなたへ来り。
こころは突如、北京の街角にとんだ。踊るおばさんが列を作って進ん
でく。公園では方々で社交ダンスを踊ってる。意外と明るい市民だよ。
それで、その公園の片隅で、おじいさんが書をかくよ。平らな石の上
に大きな筆をバケツに漬けて、一気呵成に字を書くよ。とても達筆で
風情があるんだ。でも、すぐに蒸発してしまう。墨跡ならず水跡だから
同じところで、何度も書ける。誰に見せようとの心無く、一人で一日中
楽しんでますぅ。花火からの連想で突如、思い出したのですた。




文字といえば、思考の柱。言の葉で考え方も変わりますぅ。たとえば:
ギリシャ語→ラテン語の思想のアカデミズムから自分たちの言葉で考える
ようになってから、英語の経験論(プラグマティズム)、独逸観念論、仏国
での実存主義とか国ごとの特徴出てきたアルよ。中でも独逸語は造語が
容易く、新しい概念とかへの適応性が大きいとか自賛しておる。



しかし、しかしですよ。文字の2大源流をそのまま飲み込んだ稀有な
言語があります。それが日本語。偉大なのです。奇跡です。あだ疎かに
扱ってはいけません。況してや、破壊するなんぞは言語道断。
(ヒッタイトの楔型文字の表音文字と亀甲起源の表意文字を混ぜて使ってる
日本だけ。しかもカタカナや英語混じり文とかAA絵文字とかかなり
の柔軟性を保つ。ITジャーナリスト=ジャーナリストなんちゃって、
なんつう表現もできまする。新語、造語も明治以来つくり放題バイキング)




つうことで、言語は文化、われわれの「美しい日本語」をこそ誇ろう
では御座りませぬかい?でも生きて動くのも言語ですからあまり固い
ことを言って保守的にはならないよーに!!!と、ちょとえらそーな
モードで、もやすみなさりませ。またあした。いい日ならいいな。