自分の主観で選び取った客体、シャボン玉世界

くっそー!身から出た錆とはいえ、カレンダーの21日に下線が無いのは
気になるなあ。聞けば同輩の中には靴を無くしたり、カバンを無くし
たり、「本が何処かにいった、お前持っていかなかったか?」だとか
メールが飛び交った日曜でござった。破天荒な気質の奴が少なくとも
3人はいたから致し方なーし。




で、越し方を反省しつつ今宵はじっくりと行く末について考えて見よ
う。環世界という概念がある。環境という客観的に記述され得る客体
ではなく、その中に生息している人間を含む生物が自分に取って意味
有るものを主体的にかつ主観的に選び出して構築するシャボン玉世界
のことです。


この環世界はそれゆえあらゆる生物個体に付属していて、その個体が
環境の中の事物に意味を与えて構築している世界観であり、客観的な
「環境」とはまったく異なるものです。近年、環境問題が取り沙汰さ
れていますが、この場合の環境は単なる客観的に存在している「環境
」ではなく、その主体が意味を与えて構築した世界である環世界にな
ります。ゆえに「良い環境」と言うときには、それがいかなる主体に
とっての環世界なのかが問題になります。

           J.J.ユクスキュル

主観と言えども主体となる生物がダニから人間までのあらゆる個体に
付属する超相対的な主観ですから、ある意味普遍性を帯びてきます。
そしてただ単に人間のみに限定していないところが思想に広がりを
持たせていると言えるでしょう。




と、くどくど述べてきたのは、このブログは俺の環世界だつう事です。
俺が自己閉鎖的にかつ時おり隠れたTB飛ばしながら気ままに俺の
主観で構築しており、俺に見えないものは勿論書き得べき術もない。
こういうシャボン玉世界ですから、ブクマもはてなスターも気にも
ならなけりゃ、別に邪魔でもない、という有っても無くてもまったく
おんなじことです。で、誰が読者かというと、これが実はおれ自身
なんですぅ。前のことはすぐに忘れちゃうし書いたことさえ忘れて
しまう。ですから、自分のエントリを読んでると「へ〜、これは良い意見
だ。眼から鱗がおちたぞい。」なんて何回でも感慨に浸れると言う
自閉症。これぞ、精神の自給自足の極致ではござらぬか。てへっ!




こういうのを「シャーマン的気質」というらすい。陶酔型の自己厨。
ま、進歩、発展を否定してるから、ちょうど良いんじゃね。ではでは