生得的(ア・プリオリ)か後天的(ア・ポステリオリ)か

時間・空間の認識とか数の概念なんかはアプリオリだと言われている。
経験や学習によって積み重ねられる認識はアポステリオリらすい。
人の性格が善いのか悪いのかはどちらに由来するのか分からない。
狼に育てられた人間なんかをみると全部後天的なような気にもなる。
前者が観念論で後者が経験論だと浅薄に定義付ける論もある。
しかし何事も割り切れないのが人の考え。思考の形式はアプリオリで内容は
アポステリオリで経験に従うなんて玉虫色の見解もありますです。



それで認識はどう成立するのか?例えば外界の対象があったとすると、
この物自体は感覚器官でセンスされ脳のフィルターを通して選別的に構成さ
れる。(アハ体験)これが感性の形式であるアプリオリな時間空間によって
整えられた「現象」となる。さらに「理性」は現象を思考パターンによって
捉えなおして統一集約的に認識するのであーる。

ここに二つの物がある、それはー我々がそのものを思念すること長く
かつしばしばなるにつれて、常にいや増す新たな感嘆と畏敬の念とを
もって我々の心を余すところなく充足する、すなわち私の上なる星を
ちりばめた空と私の内なる道徳的法則である。

                 イマニュエル・カント 墓碑銘

弱さを装おう擬態ってのはあるね。うんうん。生物の世界では強さを
装おう擬態のほうが多いけど、例えばヒバリなんかは天敵が草むらの
巣の中の卵を狙ってたりすると母鳥はわざと怪我した様にバタバタして
天敵を巣から遠ざけたりする。また弱そうに見せて近寄った奴を捕食
する陰険なのもいる。魚の骨みたいな巻貝もいてこれは不味そうで誰
からも襲われない。巻貝といえばバックミンスター・フラーは巻貝を
モデルにフラー・ドームを発明したそうだ。と取り止めがなくなって
きたから脳休止モード。もやすみなさい。