サタディ。ナイトのチョ・マジな考察

文化ぶんかドンドン 文化ドンドン♪
我々は文化という真綿に包まれて快い生活を送っているが、また
それによって見えなくなっているものも多いのだろう。
例えば都会のコンクリート・ジャングルではアスファルトによって遮断されて
じかに土に触れる機会は殆んど無いし、澱んだ空気によって森の
におい山のにおい海のにおいからも遮断されている。
例えば、手の込んだ食文化によって食物のなまのにおい、味、概観
から遮断され、生物として本来持っているべき危機回避能力が極端
に弱められている。我々は長い時間を掛けて文化を育んできたが、
我々が見えるのは積み上げられた結果の利便性と快適さだけであり、
文化の持っている危険性に思いを馳せる事は少ない。よさを認め
ながらも、その限界を常に意識しておくことも重要であろう。



言葉とは表象(記号)によって担われた交換価値であり、一面
金銭と等価である。そして事物はそれに置き換えられた瞬間に既に
嘘(虚構)に染められてしまう。知恵も論理もその言葉を媒介として
成り立つだけに、その限界は自ずと痴れたものにならざるを得ない。
存在そのものに到達しようと努力し続けて、何億の言葉で埋め尽く
そうとも、ついに行き着くことはできない。その限界線を悟る事、
そんこと事態が啓示そのものなのかもしれない。
しかしか弱い人間が知、論理の限界線、合理と非合理の混じり合った
地平をつねに意識して探っていくことは果たしてできるのであろうか。
目に見えないものを 目に見えない仕方で 見ることが果たして
できるのであろうか?





oioi青紫蘇の葉っぱが半分くらいヨトウ虫に食われてしまったぞい。
楽して手にいれようなんて、世の中そんなに甘くは無いねぇ。フー