9月25日(金)大分涼しくなってきたので、ちょとした思索など♪

 冷雨。終日17℃前後と気温上がらず。湿度91%。





 お金?

 お金は元来の起源を言えば、関係性を切り離す道具なんだすぅ。物々交換から物やサービスの交換へ、交換関係が1対1から複雑化されてくると、交換を媒介する無色のものが必要になると。これがお金だすぅ。でも昔はお金自体が貴金属などの価値あるものだったですが、今は只の印刷物か、ネット内の数字データなど、それ自体に価値は無い。つまりみんなの信認がないと何の価値もない媒介物なんすね。すかす物やサービスから直接の関係性を切り離したつもりのお金自体が商品化してしまい、また物に戻ったと言ふリカーシヴな構造は、関係性の持つ本質的な性質と言えるでしょうか。ま、お金に振り回されるっつうのは、物に振り回されてるって所は、変わりないんですが。

 天保の大飢饉のときも、お金があれば食べ物を買えるから、忠治は俵を直接配るより、お金を配ったんですね。格差が大きい所ほど、飢饉の被害が大きかったとか。取りあえば足りない、譲れば余るというのは今の世でも成り立つ原理ですぅ。日本もジニ係数がだんだん大きくなってるからとてもシムパイ。「越後屋、お主も悪だのう。ふふふ」(今の与党では、悪代官顔が増えてきた悪寒。)ショボーン



 
 物自体とは:

 これはカントの不可知論のコア。生き物はそれぞれの感覚器、検知器で世界を把握してるから、その感覚器の検知できる範囲しか把握できないと。ですからホントの認識対象である物自体(Ding an sich)には永遠に到達不能でありまふ。現にヒトは、20khz以上の音波やクジラなどの検知できる超低周波はわっかりませーん。光も赤から紫までの可視光範囲しか認知でっきませーん。味や臭いも検知できる化学物質は限られており、無味無臭のものが多いですぅ。でも昆虫とか蝙蝠などは人の可視・可聴の範囲を超えて認識できますが、これも限度はありますよっと。サメは電気を感じれるってなニュースもあったな。いずれにしろヒトは全てを認識・把握できるわけではあーりません、つうことは良く認識した方がエエでしょう。そこにこそ、ヘレンケラーのイマジネーションが活躍できる可能性が広がっているんですぅ♪