2月25日(月)体をはみ出して、どこまでが自分なの?

 快晴。空っ風強し。-0℃〜7℃。体感温度極めて低く、真冬の天気続く。


 秋葉原でワイアレスマウスとワイアレスキーボードを購入す。ビーテレの大画面をモニターとして使ってみようとの試み。


 完全に周囲から隔離して赤ん坊を育てられない以上、ある性質が先験的なのか生まれた後の環境依存なのかを明確に区別できません。音の情緒付随性についても然り。西洋の音感に慣れたものには和音や長調などがしっくりきますが、笙などの和楽器や鐘の音などはどのような感情が付随しているのかは、はっきりしまへん。脳の配線が固まる3歳くらいまでの経験によって決まるという説は説得力あり。素質か環境かという設問自体は実験や再現性に限りがあるので科学的な言明になり得ません。だから専門家も素人も勝手なことを言い易いんでしょうねぇ。
 人間と環境または精神と身体または自分と物体についても同様に切り分けにくい問題です。日本人も明治以来の西洋的な教育によってデカルト的な主観・客観の見方に慣れてしまったので、世界を2言論的に見がちです。まったく揺るがない客観としての外部世界とそれを認識し判断する理性といふ科学の構図ですね。近年、心身症脳科学・心理学などにより精神・身体は別物ではなく渾然一体となった統一物であるといふ仏教的な観念が立ち上がってきました。更に自分というものは身体の範囲に収まらず、環境をも巻き込んだ複合物であるという見方もでてきました。ある人の書いたものを見たり絵をみても人柄は分かるし、部屋の状況を見ても性格が分かりまふ。蜘蛛や鳥の巣を見てその種類が分かるようなものでしょうか?家や風景や都市を見て、その民族を当てることが出来るのも同様。要するに心と物とは分かち難いといふ例証です。か?







 ああ、真夏の太陽のように中天に高々と輝く真冬の満月は寒々し。眩しいけれどこころ凍てつく。