11月8日(木)人は一人のみにて生きる者に在らず

 快晴のち少し雲が出る。11℃〜19℃。喉いまだに唾を飲むと痛し。

 物事はすべて理屈で理解してからでないと動けない、と言うのはかなり偏った近代的思考の桎梏である。なぜ生きるのか?というのは死んだ後の世界を誰も経験できないのと同様に答えのない問いである。後付けで色々と理由は付けれるが、そもそも何故生まれたのか?に理由がないのだから、なぜ生きるのかにも当然理由はありません。自分が今ここに居ると言うことだけでも、物凄い偶然の累積で過去のチェーンのどこが外れてもあり得なかった奇跡である(ホシマルの秒速銘記)。でも生まれてしまったら、そのチェーンはすべて必然と化してしまうんす。不思議だけれど。そして周囲との関係性の中でのみ自分の存在が納得できるというのも人間の特徴です。何の利害も好悪も理由もなく、ただそこに居てくれるだけでイイ!という人が少なくとも1人いないと人間は生きていけません。たぶん初めはお母さん、そのうち父や祖父母や親族、運が良ければ親友や連れ合い、最後は死んでもうた人でも自分の中に住んでればそれでもイイ!生甲斐は関係性の中にあり、自分の内心だけを覗いても決してそれは芽生えません。つうことで死んだ人々との折り合いの付け方が、今ここを生きている人にとってもとても大切なのれす〜♪ナムナム お母さんならこんなときに何というだろうな、お父さんならどう行動するだろう。夢の中でいいからおせーてくらはい。ああ、この世は夢か現か幻か、うつつかゆめかまぼろしか。