9月30日(日)科学と社会について考えてまふ

 晴れ。23℃/27℃(82%/68%)。嵐の前の静けさ。ねっとりと不気味。嵐見の会、強行しちゃったけど大じょーぶかなあ、不安強まる。



 最近「科学と社会」というのが流行っている。以前は「科学と芸術」とか言ってたが、もうそんな余裕はなくなった。昨日はそのような主旨のフォーラム、セミナー、討論会を3つ梯子して疲れた。多分3.11で毀損された科学に対する社会からの信用が未だに回復されてないからでしょ。これは「そんなに必死になるなよ!」で済むはず。科学の信用が「宗教レベル」から普通の学問レベルに落ちただけで、むしろこの方が正常だと思ふ。それとも未だに仕分けが怖いのかな?プ




 おっと、出かけてこよ。しばし、さらば。





 たらいま。ふ〜、上から嵐を見るてのもおもすろかった。メンバーは半分も集まらんかったけどね。帰ってきたら、ゴーヤー棚がわさわさと揺れて、今にも持っていかれそう。ホゲ





 愛着行動の起源とは:
 哺乳類とは授乳行動によって子どもを生存環境に適応させた動物であーる。ゆえにオッパイは本質的な重要性をおびるのであーる。このばやいオスの役割は子どもにとって極端に少なくなる。哺乳類は本質的に母系社会とならざるをえないのであーる。ここまではイイかな?
 母子の関係性はこの授乳行為によって相互作用的かつポジティブループとして日々強化されまふ。子供の側からは生得的な愛着行動(親を覚え、慕って追い、微笑み、しがみ付くなどなど)が親に向かい、親の側からはこれも殆ど本能の養育行動(抱きしめ、守り、清潔にし、栄養を与え、生きる術を授けるなどなど)が子供に向かう双方向の相互作用が働き、双方の行動を日々強化し合うのであーる。
 このような愛着・養育動機は脳の神経回路に生まれながらに備わっていますが、画一的な本能ではなく、経験や学習が大きな比重を占めます。これはマウスやマンキ―でも同じです。愛着・養育ループが断たれると、例え栄養や清潔な環境などが整っていても赤ちゃんはみんな氏んでしまいます。これはマウスからヒトまで同じです。人間の場合は、Attachment Theory(愛着の理論)というのが強調され過ぎて、3歳までは安定した母子関係が必須である!という3歳児神話まで生み出してしまった。これは逆に原理主義的な害悪であろう。 どのような関係にも完全などと言うものはなく、そこそこの関係でもしぶとく生き抜いていくのが野生の適応なのです。文化依存性の、あるいは性格依存性の、瑕疵は方々にありまふ。完璧ではない、そこそこの関係(Good-enough relationship)でも人間はしぶとく適応するものです。例え虐待や放置にあった子供でも、殆どの人は立派な親になっているのです。ごく少数の極めて不幸な例だけに注目して神経質になるのは、逆に害が生じるといへるでせう。そこんとこヨロピク。
 これら愛着行動に伴う脳神経回路や脳内物質の振る舞いも徐々にですが分かってきました。前脳内側にある神経細胞で遺伝子が活性化され、シナプス結合が強化されるとともに、オキシトシンなどの愛着ホルモンが分泌されまふ。そして学習や経験によりこの伝達経路(Path way)は益々強化されることになります。近々、動物レベルではかなりの程度まで脳活動レベルでの機序が明らかにされるだろうと期待されていまふ。今日の勉強は、これでお終い。さいなら、さいなら♪