3月21日(水)文明の相克

 晴れ、寒風未だ強し。
 

 飲むのは楽しいんだけれど、翌日必ず嫌世観に捉われるのが困りもの。

 最近、中島義道氏の感受性がうつってしまい管理放送が耳についてならない。今日立寄った商業施設では日本語でのお節介放送に加えて英語と中国語も加わって長さが3倍。よしみっちゃんも裸足で逃げ出す酷さですぅ。タハッ 感受性のズレってアハ体験みたいに一度気づくと顕在化してもう離れません。困ったもんだ。彼もたぶんウイーン生活と日本生活の差異をどこかで「アハッ」したんだよ。
 日本の猥雑で密度の濃い村祭り音環境にもきっと良いところがあるべさと思い直して、「逝きし世の面影」を借りてきて読み始めた。維新西欧化前の日本のイイところを来日ガイジンの目で見つめた良書。「日本には貧乏人はいるが貧困は存在しない」とか「日本人の生活はシンプルだから貧しい者はいっぱいいるが、そこには悲惨というものはない。」とかね。里山はどこも綺麗で子供や女性や老人もみんなしやわせそうな顔をしているんだと。消え去った偉大な文明はネヴァー・リターンと渡辺京二センセは嘆いておられる。正剛センセのとこでむかーし見かけたのをフッと思い出したのさ。「1203夜」http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1203.html

 そういえば昔梯子たんつう人がいて、その感受性のズレに驚かされたことがあった。しやわせそうに振る舞ったり、子供ができたり、子供が騒いでいたりすると殺意が湧くということがあるんだと、この世界を再認識した。いやはや感性の違いってホントは恐ろしいことなんすよ。これがこの世界では普遍性があるから争いが絶えないと。あのよしみっちゃんの認識は、この日常世界に開いた穴ぢゃないんかな?ちとご本を購入して「それから」を手元に置いておくことも検討してみよう。かな?