相手が自分で、自分が相手か、ミラーの不思議


こんばんは。薄日さす、春らしい一日。リラの木立を見つけた。
薄紫色の花房をつけていて、とても良いかほり。リラの門つう
のがパリの北にあったな。マロニエの花も咲いてるだろうかな。






「怪物と戦う者は、そのために自らが怪物とならないように
気をつけるべきである」(フリードリッヒ・ニーチェ




つうのがこないだやったパロの原文。ま、怪物のとこが「卑怯者」
でも「下衆」でも「悪人」でも「小賢しい奴」でも何でもいいんだ
けどね。戦うつうのは、ある意味、対等関係だから、苛めるとか
批判するとかと違って、同じ土俵で相手の手口に引き込まれやすい。
気が付けば同類になってたりして。





「壁に悪魔を描けば、彼はやって来る」つうドイツの諺もあったな。
イメージが現実に先行するっつうのか、悪いことばっか言ってると
それが習慣化するのかわからんけどね。





一方、好きな人とか憧れてる人に言動が似てくるっつうのもあるな。
健さんの任侠物をやってる映画館から出てくるあんちゃんはみんな
肩で風を切って歩いてくるとか。文章なんかもあるでしょうね、自然
と似てしまうとこが。ま、色んな稽古事もまづ模倣から入るとか。







前頭葉にミラー・ニューロンというのがあってね、他者の言動を自己
に引き写す鏡のような働きをしているようだ。これは自己認識とか
模倣とか言語機能とも深く関わっているらしい。共感力なんかもそう
だな。頭の中で他者と自分をあたかも鏡に映ったように重ねることで、
他人の心を洞察する能力に繫がるらすい。






自分を認識する能力は、他人の心を読み取るというこの脳の機能と関係
しているそうだ。鏡に映った自分の顔を自分であると認識できるのは、
他者の心を読み取れる(と思っている?)この能力と深く関係している。
ちなみにこのミラー・ニューロンが確認されているのは今のところ人間と
チンパンくんとオランちゃんとイルカさんだけらすい。他の動物はみな
鏡の前に立つと何時まで経っても「闘争・逃走行動」を繰り返すようだ。







だから、自分とか私とか自我とかはとても高級な機能で、それはみんな
マネッコから始まるらしいよ。猿真似もあながちバカにしたもんでも
無い、つうお話し。だから諸君も悪いことを真似してるとホントの悪人
になってしまうかもしれないから、気をつけてね。







わたすは正露丸が効いてようやく体調が戻ってきましたですよ。
ではでは、こころ穏やかに、おやすみくださりまーせ。ごきげんよう