12月6日(木)芸術と科学に通底する原理とは。

 寒雨しとしと時に強し、夕方一時上がる。7℃〜10℃、97%。ずてぃんしゃの乗ってると、手が悴むくらいにさぶかったぁ。ブルブル





 具象と抽象:

 抽象は高級かというとそーでもない。幼児の頃は世界の把握がみんな抽象なんすね。色は原色で、形はシンプル♪太陽は黄色くて筋が出てます。それで長じるに連れて、だんだん世界の複雑な色あいや形を見分けれるようになるんす。言語は世界を分けて分けて、区別でけたカテゴリーに記号を付けることから始まります。金剛教で言うところの「山は山ではない、ゆえに山である」つうんも言語の成り立ちに関係します。自然を区分けしないでぼーっと眺めている内は言葉はあーりまへん。そのうち自然をしっかりと観察すると、出っ張って凄く高いところと、高くてなだらかなところと、低くて平らなところを区別できます。最初のに「山」という記号を付け、次を「丘」という記号をつけ、最後のに「平野」という記号を付けると、それぞれを識別でけるようになるんす。すなわち山ではないところと対比させて、始めて山を認識でけるんであーる。ども。

 ま、イロエロと区別でけるようになると、それはそれでまた際限がない。自然色は百万通り以上もあるし、それらも質感とか光の当たり方、反射の仕方で千差万別に変化します。時には内心の葛藤なども見え方に影響したりします。それらを全て表現しようと思ても、画材や技量がついて行きません。つうことで具象の究極でまた、心象を論理で再構成する抽象が出てきますんや。ども。

 もともと人間の本性には分析と総合が絡み合ってると看破したのはデカルトかな?いやカントかな?ショーペンハウエルではないでしょう、デカンショと。年齢による脳の特性つうのもあるのでしょうが、歳をとるとだんだんと、じかに見た色合いや質感に興趣を覚えるつう傾向が出てきます。茶碗の渋い色合いの変化に美しさを感じたり、壁の染みにまで趣を感じたり。ま、この世界に在るものなら、何にでも興味を抱けるって、いかにも経済的になって、枯れていくんでしょうねぇ。ナムナム



 とか、くーだらないことを考えていたら、こりは藝術だけではなくして、科学技術分野にも当てはまるんではアルマイト?もともとこの自然界の森羅万象を一つの原理で解き明かそうと、ニュートン力学から量子力学まで発展してきたが、そもそもこの世界は生命科学まで含めてそんなに単純化(抽象?)でけるんかい?つう疑問がでてきました。複雑な世界を複雑なまま(具象?)理解しようってなムーブメントが、ラージデータ解析などのAI(人工知能)分野で出てきたのも、むべなるかな。でも、そーなるとB.B(ブラックボックス)化は避けられませんねぇ?なぜなら膨大なベタのデータから意味(特徴?)を瞬時に抽出でけるんは、GODだけですから。ドッボーン