7月3日(日)空気読んだか〜、風呂はいれよ〜、歯、みがけよ〜、また来週〜♪

 青い空白い雲の夏晴れ。25℃〜35℃、82%。猛暑日なり。 南洋ではようやく台風1号が発生したそうです。

 さむぽに出たら余りにも暑くて暑くて汗だらだら。デパートに逃げ込んで果汁ジュースをがぶ飲みす。こういう日に無理するとあっちへ逝っちゃうかもね。スマフォの通信速度が急に遅くなったので、販売店に聞きに行ったら、限度越えで遅くなったんだと。千円で1ギガ買わされた。スマフォで雑誌を読み過ぎてDLが多くなったのかなぁ?だたほど高いものはなし!





 儒教的社会遺伝子とは:

 例えば米国の大学では、師弟は親しくなると名前で呼び合うと言う。「ハーイ、テッド。今こういう研究してるんだけど、なんか助言ない?」とか。だいたい敬語つうのがあんましないしね。日本ではどんなクラスターでも、あっという間に序列ができて、しかもそれが固定されがちですぅ。これはあらゆる業界に普遍的な礼儀になっています。いわゆる「弁(わきま)える」ということでしょうか。

 例えば官僚さんなんかは試験の出来で序列が出来て、それが終生続きます。停年後でも序列が続くから昔の上司はそのまんま威張ってると堀田力さんがおっしゃっていました。昔の軍隊は年次の早い者ほど影の力を持つとか(星の数より飯の数)。この伝統はスポーツ界にも色濃く残っていて、学年の下のものは上級生に奴隷のように奉仕します。芸能界も年次と実力で、一端大御所になってしまえば、駆け出しは徒弟のように先輩の顔色を見ます。このように社会的な位置関係が極めて微妙ですから、複雑な敬語体系が発達したと言えるでしょう。

 なんか息苦しいけど、これが閉鎖社会の安定を保ってきたのは確かです。戦国時代などに世が乱れた時が唯一の例外ですが、米国文化に席巻された今、果たして戦国時代のようなダイナミクスを持つべきか否かは、各々がたの感性に依拠する判断であろうよ。ぷっ