10月30日(水)世界の見え方は関心に依存して人それぞれ。

 朝のうち少雨残るも昼前に上がり午後から薄い高層雲に覆われた秋晴れ。12.6℃~22.4℃、46%。4700歩。午前中は寒かったが午後から陽射しが出て気温上る。夕方北西風強し。

 

 意識のサーチライトとは:

 意識、認識というのはまるでサーチライトを当てるように、関心のあるものしか浮かび上がらせません。関心の無いものは潜在的に無視されます。こりはインアテンショナル・ブラインドネス(非注意性盲目?)やチェンジ・ブラインドネス(変化盲?)などの実験でも明らかです。前者はバスケットコートの見えないゴリラの実験、後者はカードトリックで選ばない方の写真を提示してもまるでそれを選んだかのように錯覚する実験で有名です。

 それ故大げさに言えば、人は自分が見たいものしか見えないのです。植物が好きな人は植物にしか関心が向きません。しかもその関心は細分化されます。街を歩いていても、花や雑草、樹木や枝ぶり、木の実や落ち葉などにしか興味が向かなかったり、昆虫で言えば蝶や甲虫、蜘蛛や餓、なかにはゾウムシなどの奇天烈なのに興味が向く人もおりまふ。機械が好きな人は自動車や電車、船や飛行機、建築物や橋梁など、ネジやゼンマイなどなどに興味が向きます。人間が好きな人は女性や男性に興味が向きます。

 ま、興味の対象を大きく分けると自然物か人工物かに二分されるのかな?だが具体的な事物ではなくして、抽象物が大好きな哲学者や文学者もいるしね。つうことで、意識のサーチライトで世界の見え方がまったく変わるのですから、認識論で言えば世界は人間の数だけあると言えるでしょう。これらバラバラな世界認識をかろうじてつなぎ留めているのが、科学的なものの見方ということになるのでしょうが、これも完璧ではあーりまへん。だって科学的見方というのも時代の移り変わりで絶えず変化しているのですから。

 つうことで、我々は関心のあり方でまったく違う世界を見ているのですから、人間世界に争いが絶えないわけです。かな?(この項、つづくかも?)

 

 追記:食わず嫌いというのがあるけど、我々は関心のあるものしか見えていないので、世界のほとんどは見えていないわけです。つーことは世界のほとんどを食わず嫌いしているってことかな?なんか寂しいですね。ゾワゾワ・・・これもいわば「無知の知」ってことなのかも知れませんね。アハハハ