11月20日(日)言の葉を言の葉で語るとは。

 曇りのち弱雨降ったり止んだり。10.3℃~13.7℃、64%。1500歩。気温余り上がらず。昨夜、寝る前までビールを飲んでたら、夜中に逆流して気管に入り咳がゴホゴホ。未だに咳止まらず。ご、誤嚥性肺炎かな?トホホ

 今日のCOVID状況:都の新規感染者数は7777人で前週より12%の増加、重症者は50人、死亡6人でした。ぞろ目とは吾輩の大好きなものの一つですが、こういう変なぞろ目は嫌いですぅ。都の新規感染者数はだいたい全国の約10%で、さすが我が国のキャピタルだけあって平均的に代表してますねぇ。アリャ!

 

 ことのは、はっはっは♪

 何と言っても人間の最大の特徴は言葉の使用でしょうね。これにより文化、文明が創出されました。すかす、この言葉と言うツールは固定せず、まるで生きているように千変万化します。捉えどころのない生き物です。

 一応各国語とも文法なるものを後付けしてますが、ホントはごく自然ににょろにょろ生えてきたのが言の葉なんすよ。ん?一部例外はあるんかな?国民国家ができるときに、国民を統合するために数多ある方言を恣意的に統合した経緯は確かにあります。そんときついでに文法なるものを整備して、教育しやすくしたんだすぅ。

 言葉は経験の中から抽出されますから、経験のないものは言葉になりません。生活実感の多いものほど多彩な語彙を作れます。遊牧民の肉や乳の表現、極北民の氷の状態の表現、四季のある広葉樹林の民の色彩の表現などその多彩さに驚かされます。

 文学や哲学は言葉を使って創作、思考しますから、当然言葉に縛られます。経験にリンクされた語彙の正確な翻訳は極めて難しいと言えるでしょう。異なる言語間の翻訳は限りなく透明に近いブルーと言へるでしょう。例え翻訳者が現地で長い間生活して語彙のニュアンスに精通しているとしても、読者にそれが伝わるかは疑問です。

 哲学もデカンショくらいまではラテン語を共通語として使いましたが、それ以後は各国言語で哲学するようになり、その概念創造も多彩になりました。しかし以上のような言葉の制約により、実際に現地で生活して学ばないと、その本当の姿は読解困難と言われます。

 言葉はコミュニケーションの手段ですが、異文化間、異言語間のコミュニケーションには必ずズレが発生するということは認識しておいた方がいいでしょう。かな?かな?

 

 ことすは沈黙の秋だったような希ガスる。虫たちの鳴き声がほとんど聞こえませんでした。ヒグラシの声も聴けなかったです。日暮れて道遠し。