3月12日(金)二月堂お水取り。世間ばなしの続き。

 終日もや曇り。7.5℃~18.0℃、45%。夜に入って雨の予報なれど、県境にて踏みとどまっている様子。明日は春の嵐か?

 仙湯会にて定例オンライン会食を催す。名前が少しかっこよくなりますただ。今日は最近感銘した書籍紹介が多し。

 

 世間と同調圧力(続き):

 新型コロナと共に自粛警察やマスク警察が猛威を振るったこの一年でした。これらはピアプレッシャー(同調圧力)という人類に共通する性質ですが、日本では更にそれらが強化される文化的な要因がありますただ。

 なぜならそれらは世間(ムラ社会?)という文化・習俗的な背景から生み出されたのですぅ。世間と言うのは「社会」とは違って、親密な知り合い集団から生まれます。世間は助け合いなど良い面も多々ありますが、その本質はお節介なんだすぅ。事細かく口を出して集団からはみ出す個体を諫めることに主眼を置きます。そのためムラビトにはとても親切ですが、ムラの大勢に逆らう者には厳しい躾が待ってます。

 一方、社会というのはそんなに親密ではない集団で、個人は比較的自由です。それでも社会生活は必要ですから皆で合意した(少なくともそのように見える)ルールで規律を保ちます。見ず知らずの人々が上手く暮らせるようなルールが必要で、それを社会契約として作成し実施します。感情とか忖度なしで、そのルールさえ守っていれば、あんまし干渉されません。

 前回いったように、世間は5つの大切を守った親密さを土台にしてますから、そこからは「同調圧力」が本質的に放散されるわけでやんすよ。親密さを取るのか?はたまたドライなルールを取るのか?これが価値観の分かれ目で、なかなかどっちがイーとか言えまへん。戦時中は米や塩、醤油などを貸し借りして、向こう3軒両隣の濃密な世間を構成していましたが、戦後70年を経た大災害(パンデミック?)で先祖帰りをしたとて何の不思議があろーか。

 そもそも弥生時代からの伝統ですから、みんな一緒でみんなイイってな価値観はなかなか崩れまへん。結婚だって街角でたまたま偶然のきっかけで知り合って交際を深めるよりも、知人友人、学校や職場での知り合い、親戚縁者からの推薦で纏まることが多かったのも世間の特徴です。明治の文明開化から西欧に追い付け追い越せで「社会化」を図ってきましたが、大きな天災や戦争はたまたパンデミックなどになると、どーしてもその本性が露出してしまうのはやむを得ざる仕儀と存ずるが、如何に!

 とはいえ諸学(特に生態学など)の発展により、みんなが心を一つにして纏まるよりも、多様性が生き延びるためには結構ロバストでやんすよ!つう知見がもてはやされてるから、同一圧力の世間もうかうかしてはおれんぞなもし。大勢に順応していれば心地よい、がっ極めて脆いっ!

 ではどーしたらよかんべい?ひな壇芸人の世間話よりか、もっと社会話をしようぜ!と云ふ。そのためには各個人が自分の考えを持って、自分の考えを率直に話すに如かず。SNSが世間話の温床になっている現在、そこに忖度やムラビトたる分際をわきまえるよりか、自由にゆったりとした無関係な人々との関係を作る(社会)ほうがなんぼかよかとよ♪

 つーことでSNSにおける実名ってのは、実はしがらみの最たるものなんですぅ。どもども。ごんすごんす。